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第27楽章『覚醒』─後編

 町へ下った二人は、それぞれ反対方向の列車に乗り込み別れた。東の方角へ進む電車に乗った光希は、そのまま一時間ゆらゆらと運ばれ、気がついた時には見慣れた駅舎に立ち尽くしていた。駅から自宅までは歩いて十数分だ。あともうひと踏ん張りと足を進めようとした彼の耳に、懐かしい声が飛び込んでくる。
「おーい、光希」
「父さん……! ただいま!」
「正月は帰ってこなかったから、夏以来だね。また少し背が伸びたんじゃないか?」
 荷物を持ちつつ、父は空いた方の手でぽんぽんと光希の頭を撫でる。濃い橙の夕日が照らす道すがら、光希は少しの気恥ずかしさとあたたかい思いを抱え、なんとも言えない擽ったさを感じていた。
 学校ではどうしてる? 楽しいことはあった? そんな当たり障りのない話題に幾つか答えているうちに、懐かしい我が家はもう目の前だった。
「今日は、母さんも張り切って光希の大好物ばかり作っていたよ」
「ほんと? 嬉しい!」
 年相応の明るい笑顔で、光希はぎゅっと父の腕にしがみつく。窓から漏れる灯りは、光希の帰宅を心待ちにしていたかのように煌々と輝いている。いつの間にか日の落ちた空から、弓のようにしなった細い月が、その背中を照らしていた。

──────────

 初めは長く思われた十日間の休暇も、気がつけばあっという間に過ぎ去っていた。両親に見送られて西の方角へ行く電車に乗り込んだ光希は、席に着くとすぐに手元のスマホのチャット画面を開いた。そこには、翼からのメッセージが一件。学園の最寄り駅で待ち合わせをして、一緒に帰ろうという主旨のことが書かれていた。
「六時にはつくよ……っと。先輩たちに会うのも十日ぶりかぁ。何だか長い間会ってなかったような気がする」
 高速で流れていく風景をぼんやりと眺めながら、光希は個性的な仲間たちの顔を思い浮かべる。そこで何故か、彼らが誰一人欠けていないといいな、と思っている自分に気がつき、光希は思わず失笑した。
「どれだけ心配性なんだろう、僕」
 大丈夫。きっと皆代わり映えのない笑顔で(一部笑顔ではない人間もいるかもしれないが)、待ってくれているはずだ。そう思うのが自然で当然なのに、光希はざわざわと蠢く胸騒ぎを覚えずにはいられない。はやる思いを抑えて電車から降りた光希は、暗い小さな駅のホームで翼の姿を探した。彼はすぐ見つかった。一番端のベンチに所在なさげに腰掛けている少年の名を呼ぶと、彼はパッと顔の彩度をあげてこちらに向かってくる。
「翼くん、久しぶり」
「久しぶり。うちは楽しかった? 」
「うん、すごく。翼くんは?」
「ボクも楽しかったよ。父さんと過ごしていて楽しいと思えたのは、何年ぶりだろ」
 父の話をする時、翼は声のトーンを落としてはにかむ癖がある。今日も彼は例に漏れずそんな反応をして見せたから、光希は焦りも忘れて口元を緩めた。
「そうなんだ。良かったね」
 翼の育った環境は、光希からしてみればひどく過酷なものだった。そんな彼が今、家族の話をして照れることの出来るこの状況を、光希は心の底から良かったと思うのだ。
「学園に帰ろうか」
「うん、きっと皆待っててくれてるよ」
 今まで何度もそうしてきたように、二人は手を繋ぎ、今度は大通りから正門をめざして学園へと戻る。彼らの頭上には、怪しく光る満月。これから行く先を、無情な光で照らしていた。

 

 


 【救世主】の記憶が戻ると同時に、光希の体は熱を帯び始めた。寮に荷物を置く暇も与えられぬまま、翼と光希は突如校庭に現れた【略奪者】の討伐へと駆り出される。
「おかえり、ひかりん、つーちゃん! 二人にはゆっくりさせてあげたいとこなんだけど、ごめん! 許して!」
「大丈夫です! 僕らもすぐに加わります!」
 光希は怪物に攻撃を加える永遠に大きく叫んで答えると、傍にいた名も知らぬ生徒から手渡された武器を構える。
 現れた【略奪者】は一体だけだが、この敵はとにかく大きかった。恐らくステージ5だと、喧騒の中で誰かが言う。何十人がかりでないと倒せない、怪物の王だ。いつもの光希なら、きっと戦線に出ることすら臆してしまう程の圧。しかし、満月を味方につけた今の彼であれば話は違う。光希はゆっくりと息を吸い込むと、その目に未来を照らす光を宿らせた。

 


【声の能力】─『月の光』

 


 瞬間、未だかつて感じたことの無い覇気が光希を取り巻いた。彼の傍に居た他の生徒たちは、その空気に触れただけで怯えたように彼を凝視する。だが、そんな視線は見えてもいないが如く、光希の感覚から全てのシャットアウトされていた。彼が見つめていたのはただ一つ。標的の漆黒のみだった。大地が脈打つように熱い。一歩足を動かせば、途端に周りの景色はぐるりと変わる。気がつけば光希は、瞬きをするその間に最前線まで到達していた。
「僕は、皆を救う」
 うわ言のようにそう呟いた彼は、【略奪者】の胸元目掛けて、誰よりも速く刃を振り下ろす。焼けるようなこの熱を、打ちつけて弾き飛ばして、力に変える。息をするのも忘れてしまいそうな刹那の衝動に、彼の心は深く麻痺する。前線の誰よりも強靭な力は、やがて【略奪者】の核にまで届いた。直後、ガラスが割れるような、ほんの小さな音がして、辺り一面が白く染まる。怪物がキラキラとした塵になっていくのを見届けた瞬間、光希の中の熱も消え、彼は意識を手放した。

 

 

 

 目を覚ますと、ぼんやりと白い天井が目に入った。次いで、薬品のような微かな匂いが鼻腔をくすぐる。
「全く、君たち生徒はどうしてこう、無茶をするものなんだろうね」
 ハスキーな声の方向へと顔を傾ければ、紺色の髪を揺らした保険医──月夜の姿があった。光希は未だじわじわと痛む四肢を少しずつ動かして起き上がると、彼女に向き直る。
「す、すみません」
「いや、いいんだ。それにしても良くやったよ。弱体化されていたとはいえ、最下級の君が、たった一人であんな大物を倒すとはね」
 切れ長の蒼い目が興味深そうに光希を見つめている。まるで獲物の小動物を睨みつける蛇のような視線に、光希は思わずひっと喉奥を鳴らした。それに気がついたのか、月夜は腕を組んで可笑しそうに肩を揺らした。
「あはは、そんなに怯える必要は無いさ。心身共に異常が無ければ、今日にでも寮に帰れるよ」
 フッと微笑みながら、月夜は颯爽と立ち上がり光希に背を向けた。釘を刺すように、暫くは休んでいなさいとだけ告げると、彼女はそのまま医務室を出ていく。残された光希は仰向けになってもう一度天井に視線を移した。昨日の事はどうにもはっきりとしなくて、ずっとオブラートに包まれたままだった。あの衝動が何だったのか、理解する暇もなく決着がついていたのだ。
(これが僕の強さってことなのかな)
 だとしたら、純粋に怖いと思った。あの時、きちんと自分の理性であの結果を導き出せていたなら、何の問題もなかっただろう。けれど、昨夜の光希は違った。力に突き動かされ、振り回されるままに剣を振るっていた。それは、言い換えれば、制御の効かない【略奪者】と同じなのではないか。光希は青ざめた顔でぎゅっとシーツを握りしめる。覚醒を望んでいたはずの力は、蓋を開けてみれば、仲間を傷つけてしまうかもしれない力だった。ヒーローなんかとは、救世主なんかとは程遠い、全てをねじ伏せるような力。もし、意図せずとも使い方を誤ったら? 抗えない震えを必死で抑えようとして、光希は小さく体を縮こませる。あぁ、そうか。【救世主】になっていくというのは、こういうことだったんだ。力を正義に導く方法を、光希はまだ知らない。強力な何かに操られているような自認では、輝かしい未来は、何一つ想像出来なかった。

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