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​第4楽章「かみさま」

『キャハハハハハハハ!』

 無垢な少女の声が、荒廃した土地に響き渡る。声音だけを聞けば、大半の人間が微笑ましいビジョンを想像するだろう。しかし、その声の主は、八つの手足と醜い老婆の顔を持った化け物だった。
 京と命は、辺りに無数に転がっている岩の裏に隠れると、黒々と光る銃を構えた。
「あんのババァ……蜘蛛みてぇに動き回りやがる」
「どうやら、僕達に当てられたこの【略奪者】が、一番の大物らしいね」
 声で一人、顔で一人。そして手足は最低二人。もしかしたら、一人からひとつずつ、八人分の人間の性質を吸い取っているのかもしれない。そうなると、取り込んだ人間は十人を優に越えている。京は、支給された武器の一つである腕時計型のタブレット端末を片手で操作して、【略奪者】の情報ページを開いた。彼らの生態について書かれたウィンドウが、空中に照らし出される。
「このタイプは……恐らくステージ4、五段階中四番目に危険な個体に、特徴が当てはまる」
「マジかよ……。先輩、オレ頭働かせて動くのとか無理なんで、囮になるわ。あとは頼みます」
 そういうが早いか、命はサッと岩陰から飛び出した。老婆の顔を持った【略奪者】は、ギョロリと目を回し、即座にその姿を捉える。
『鬼ごっこ、たぁのしいの!』
 目を見開いた顔と、ケタケタと笑う少女の声、そして蠢く四肢の群れが近づいてくる。命はその醜さに一瞬喉を詰まらせたが、すぐににやりと笑うと、風を切って走り出した。
「そうだ、鬼ごっこで遊んでやるよ。ここまで来てみやがれ!」
『つかまえる、つかまえるぅ!』
 走り回る【略奪者】を挑発しながらも、命は時折振り返り、的確に銃を打つ。八つあった筈の手足は、数分の間に四つにまで減らされた。だが、体の一部が失われても尚、走るスピードは衰えない。うかうかしていたら、命の体力が持たなくなってしまう。京は、物陰に隠れながら【略奪者】を観察し、必死で弱点を探した。
 【略奪者】には、それぞれ、欠損すると全ての力を失い消えてしまう急所が存在する。急所は、一般に、その個体が一番初めに人間から奪い取った部位であると言われている。
 その事を念頭に置きながら、京はひとつの違和感も見逃さぬよう、【略奪者】を追った。そして、ある事に気がついた。恐ろしい笑みを貼り付けた老婆の顔は、右目と左目が別々に動いているのだ。つまり、この二つのうちどちらかの目は、元は老婆の物では無いということ。恐らく、この個体は一番初めに人間の片目だけを奪ったのだろう。
 京は急いで陰から飛び出すと、銃を構えた。
「先輩! 分かったんすか!」
「目だ。恐らくどちらかが急所になっている」
 その声に、ぐるりと【略奪者】が振り返る。眼球は、左右でバラバラの方向を向いていたが、京を見つけるや否や、ピタリと向きを揃えて彼を射抜いた。
『みぃつけた! キャハハハハ!』
 四本の手足が、京に向かって突進してくる。その僅かな距離感を見誤らないように、慎重に引き金を引こうとした、その時だった。
「そいつはオレが倒す!」
「待ってよ、直哉くん!」
 突然飛び込んできたあどけない二つの声に、京は思わず銃を取り落とした。そして、瞬時に二人を庇うように目の前に飛び出す。考える間もなく、その声は響いた。

【声の能力──四季】

 京を捕まえようとした【略奪者】の手が、眩い光に反射され吹き飛んでいく。京と二人の新入生を取り囲むように、透き通った白い盾のような物が出現していた。
「神よ……僕らを御守り下さい」
 手を組み、京が呟いた。その瞬間、縦の外側から溢れ出した光によって【略奪者】は呻き始める。
『目がいたい、目が、いたい!』
「命くん、今だ!」
「おう!」
 京の能力により弱体化した【略奪者】は、背後に命がいるとも知らずよろよろと後退していく。その隙を、命は逃さなかった。
「くたばりやがれ」
 至近距離から老婆の顔面に銃を押し付ける。そして──

  乾いた銃声の音が終止符となり、【略奪者】の姿は砂のように崩れていった。

──────────

 戦いが終わり、無事転移室に戻った京は、すぐ様空き教室️に光希と直哉を呼び出した。
「今日は帰るって、約束したよね? どうしてあそこで飛び出して来たの?」
「だって……オレ、役立たずなんかじゃねぇし!」
 やんわりと咎められた直哉は、噛み付くようにそう反論した。そして、震える手で拳を握りしめる。
「それに、何も出来ないのは、やっぱり悔しかったんだ」
 そう呟いた声を聞いて、京はハッと我に返る。そのまま、直哉に寄り添うように立っている光希に、ゆっくりと問いかけた。
「君も、そう思ったの?」
 光希は、罰の悪そうな顔で俯いていたが、やがて小さく頷いた。
「最初は、止めようと思ったけど、でも、何も出来ないのは嫌でした」
「……そうか。君たちは、自分でそう判断して動いたんだね」
 今度は二人揃って頷いた。京は暫く何かを思案するように口元に手を当てていたが、やがてにっこりと微笑むと、それぞれの肩に手を置いた。
「その気持ちは、ずっと大切にしていてね。……でも、今回の行動はいただけなかったな。あの場でもし、僕がすぐに力を使う事が出来なければ、君たちは死んでいた」
 死、という言葉の重み。厳かな警鐘に、二人はびくりと肩を震わせた。
「ごめんなさい……」
「次からは、ちゃんと先輩の言うこと、ききます」
 それは、真っ直ぐな思いから起きた、真っ直ぐな行動。命を脅かす危険があった為、厳重に注意をしなければならなかったが、それでも、京はその思いを否定するべきでは無いと知っていた。
「うん、約束ね。さぁ、他の先輩たちにも謝っておいで」
 京が二人の背中を押すように声をかけると、二人は「助けてくれてありがとうございました!」と同時に言って、廊下の奥に消えていった。二つの影を見送りながら、京は小さくため息をつく。心の奥底に蓋をした箱の内側には、荒ぶりそうになる感情がせめぎ合っていた。それを諌めるように、足早にいくつもの扉を抜け、講堂のすぐ傍にある小さな礼拝堂に辿り着いた。
 両開きの扉を、ゆっくりと開ける。誰もいない、何も無い、空間。その場に足を踏み入れ、扉を閉じた瞬間、京は力尽きたようにその場に座り込んだ。
「……余計な、事を」
 押し殺していた感情が、ぶわっと弾け飛び、瞬く間に彼を覆う。果たして次の戦いから、京はあの二人を守る事が出来るのだろうか? あれは、助けようと思って助けたわけじゃない。長年の訓練による条件反射に過ぎなかった。それどころか、京はあの素直な二人に、嫌悪と鬱陶しささえ覚え始めていたのだ。二人が最後に向けた笑顔は、到底自分が享受出来るものでは無かった。
「僕は、こんなにも不安定なんだ。皆が思うような僕は、どこにもいないのに」
 それなのに、空っぽな内側には、身勝手な称号ばかりが増えていく。それを受け取るべきは本当の自分では無い。京は、懺悔するようにその場に蹲った。
 皆の目に映っているらしい、あの優しい笑顔の少年が御沢京だと言うのならば。それならば、僕は一体何者なんだ?
 誰も本当の僕など見てくれないけれど、仮に『本当の僕』がのさばった所で、所詮何も出来やしない。

 ごめんなさい。僕はやっぱり、『かみさま』にはなれません。いつの日も、移ろいゆく人の心に漬け込んで、『かみさま』を演じているだけの、ただの愚か者でした。

──────────

 京が物心ついた時から、彼の周りは常に沢山の人で囲まれていた。彼の住んでいた屋敷には毎日多くの人が出入りし、人々は皆、京の顔を見るや否や、泣きそうな顔で彼に縋りついた。
「どうか、お救い下さい」
 そんな言葉を、もう何度聞いただろう。戸惑う京に、両親は優しく微笑んで手を差し出した。京が両親の手を取ると、二人はひしめく人々に向かって、声を上げた。
「この子は、神が我々にもたらした希望の光なのです。この【力】がその証拠」
「この子の言葉は神の言葉。この子の慈悲は神の慈悲。……そうだろう? 京」
 振り返った父の顔は、逆境でよく見えなかった。けれど、嬉しそうに微笑む人々の顔を見た京は、その行為がとても素晴らしいものであるように思えた。ましてや、罪であろうとは、微塵も思わなかったのである。京は笑顔で頷くと、父の手をぎゅっと握りしめた。
「はい、父さん」
 その日から、京は『かみさま』になった。

 京が初めて人を救ったのは、六歳の頃だった。数ヶ月間、毎日一人で屋敷に出入りし、京に向かって祈りを捧げていた女性が、痩せ細った男性と共に、涙ぐみながらやってきたのだ。女性は、京の姿を見つけると、急いで彼の手を取った。そして、何度も何度も京にお礼を言った。
「貴方様のお力のおかげで、夫の病が治りました。本当に、ありがとうございます……!」
 急に泣きながら感謝を述べられた京は、きょとんと首を傾げる。
「僕、何もしてな……」
 しかし、その口は背後にいた母親にそっと塞がれてしまった。振り返ると、母親は笑顔のまま人差し指を口に当てている。どうやら、黙っていれば良いらしい。京は女性の方に向き直ると、そっとその手を取った。
「治って良かったですね。僕も嬉しいです」
 素直にそう告げると、女性は一瞬だけ驚いたような顔をして、その後また泣き出した。嗚咽に混じって「救い」「神」「信仰」という言葉が聞こえてくる。その意味はよく分からなかったが、きっととても素敵な事なんだろうと、京は純粋にそう思った。

 そんな事が何年も続き、京が九歳になった頃、彼の立場を揺るがす出来事が起きた。
 その日、京は憂鬱な気持ちで自宅へと向かっていた。いつもなら満点が取れる筈テストが、今日は六割程しか取れていない。
「怒られちゃうかなぁ……」
 ため息をつきながら、自宅へと戻る。だが、出迎えてくれた両親は彼の成績を見ても何も言わず、ただ微笑んでいるだけだった。
 そしてその夜、両親は信者達を集め会合を開いた。彼等は笑顔のまま、京が完璧でないのは皆の信仰が薄れているせいだと言い放った。青ざめた顔をして謝る信者達。目は笑っていない両親。京は、その時初めて心の底から『狂っている』と思った。
 ここにいてはいけない。心の奥の何かが、そう告げている。両親が、自分の体を通してどこか遠くを見るようになったのは、一体いつから?

 ねぇ、父さん、母さん。僕が感じる幸せも、僕が起こした過ちも、全て、僕のものじゃなかったの?

──────────

 翌年、京は『かみさま』に盲目な両親を説得して、学園への入学を決めた。ここでなら、本当の自分が得られるかもしれないと、期待を胸に抱きその門をくぐった。
 学園での生活は、辛い事も苦しい事も沢山あった。けれど同時に、あの屋敷に囚われたままでは決して得る事の出来なかった物を手に入れる事が出来た。同期の杜若郁の存在が、彼にとってのそれであった。郁は、生まれつき目つきが悪く、一見すると怖い人物だと思われがちだが、実際はとても優しい少年だった。更には、その優しさを誇張する事も、ひけらかす事もしなかった。
 京は、彼といるといつも、まるであたたかな雨に打たれているような感覚に陥った。優しく優しく京を包み込む慈雨は、気が付かないうちに降り注ぎ、礼を言おうと顔を上げた時にはもう、青空の彼方に吸い込まれている。京は、そんな郁の事が大好きだった。大好きだったからこそ、次第に彼と自身の格差に悩むようになった。誰にも気づかれないけれど、本物の心を持っている彼と、人からの評価ばかりが一人歩きをし肝心の心は空虚なままの自分。鬱屈とした羨みはいつしか抱えきれないほど大きくなり、そして──

 あの日がやってきた。


 9期生が入学してくる少し前。06地区にて襲撃が勃発した。当時、京と郁のいた班には彼らより一つ上の先輩がいたが、その時彼は以前の襲撃で負った大怪我が完治しておらず、出動できない状態だった。講師は仕方なく、京に班員たちの指揮を執る様命じた。
 郁・永遠・命、そして、京が一番気がかりだったのが、当時最下級生だった統也と翼。五人の無事は、まだ十三歳だった京一人に委ねられた。重圧に耐えながらも、京は必死に戦った。声を消耗して、何度もその盾で攻撃を防いだ。だが、やはりまだ未完成な彼には、すぐに限界が来てしまったようだった。俊敏な【略奪者】に目をつけられた統也と翼を守る為、【声の能力】を使おうとした彼は、そこで喉が枯れてしまった事に気がついた。彼が我に返った時にはもう、統也と翼は黒い影に捕らえられ、泣きそうな顔でこちらに向かって手を伸ばしていた。

「助けて、先輩」

 その声音が、顔が、かつて、自分に救いを求めてきた信者達の記憶に重なる。
「……やだ、嫌、だ。僕にそんな目を向けないでくれ……」
 僕は、一体何を言っているんだろう。これが『本当の僕』なのだろうか。嗚呼、なんて非道で、愚かな。
 京は武器を落とし、力無くその場に座り込んだ。今にも【略奪者】に取り込まれそうになっている後輩を、映画か何かを見ているかのようにぼうっと見つめる。もう何も、何も感じなかった。その時だった。
「京! 目を覚ませ!」
 良く聞きなれた声が、背後から通り抜けていった。その声の主は、一瞬で【略奪者】の腕を切り落とすと、後輩達の手を引いて走り出す。
「郁……」
 去っていく黒い頭は、一度もこちらを振り返らない。また、彼は隠れてしまうのだろうか。今回の討伐で注目を浴びるのは、きっとこの敵を倒す事になる京だけだろう。京は泣きながら剣を振るった。郁と自分の間には、やはり決して埋める事の出来ない決定的な差があった。そして郁は無意識のうちに、本来ならば京が被らなければならなかった罪を、空虚な存在に成り下がる罪を、その身に背負ってくれていた。それでも、その事を知ってしまっても尚、京は『かみさま』を演じながら生きるより他なかった。自身の事を神だと錯覚していた頃ならば、どれほど楽だっただろうか。今更思い描いてみた所で、もう遅い。はらはらと散っていく敵の残骸を見つめながら、京は長い間泣き続けた。
 『かみさま』から見捨てられ、他人の作りあげた鏡像に全てを乗っ取られた少年には、最早何も残らない。そこにはただ、空っぽのセカイが広がっているだけだった。

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