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第19楽章『世界一やさしい怪物』

 統也と【統也】のどちらが消えるのか。あの夜からずっと、答えは決まらないままだ。二人ともが互いに生き残って欲しいと伝え続けているのだからそれは当然で、意見が衝突する度に、二人は眉間に皺を寄せて唸った。
「まおちゃん、しののみたいな顔してんね。一緒にいすぎて顔まで似ちゃったの?」
「確かに似てますね~。怖い顔になってますよ」
 何も知らない永遠と光希は、そんな風にふわふわと微笑んでみせる。けれど、話の引き合いに出された当の紫乃は、これが本家と言わんばかりに一層皺を深め、不可解そうに統也を見上げた。
「似てるというか……最近なんか悩んでる?」
「あぁ……まあ、」
 いつもの統也とは違う、途切れたような返事。紫乃の目がそれを察知して不安げに揺れる。その時だった。
「襲撃だ」
 聞きなれたベルの音に、最初に立ち上がったのは永遠だった。そのまま流れるような手つきで腕時計型の端末を確認すると、彼は統也達に手招きをする。
「君たち三人は僕が連れてく。後の四人は……上級生だし、自分でなんとかするよね」
 納得したように呟くと、永遠は光希の手を引いて転移室へと向かう。その後を駆け足で追いながら、紫乃は統也の袖を掴んで言葉を続けた。
「戦いが終わったら、ちゃんと教えてよ」
「ふふ、フラグだぞ。死ぬなよ」
 振り返った紫乃が見たのは、そう言ってニッと笑った顔だけ。いつもの統也だ。紫乃は小さく舌打ちをすると、唇を噛み締めて統也を引っ張った。
「死なないよ。むしろ君の方が心配。柄にもない考え事して、うっかりやられないようにね」
『柄にもない、ね。お前やっぱ面白いね』
 統也が口をつぐみ微笑んだ隙に、【統也】が返事をした。まっすぐ前を向いて足を動かしていた紫乃は、その声に一度だけ立ち止まる。小さく言葉を飲み込む音が聞こえた。けれど、彼はけっして振り返らず、再びゆっくりと歩みを進め始める。
「その喋り方、前にも聞いた。統也が僕を庇って怪我した時。……そいつの事も、後で絶対聞くから」
 表情こそ分からなかったものの、紫乃はどこか不満げだった。統也が大切なことを隠したままにしているのを、そして自分には話してくれないことを、怒ってくれているようだった。
『入学してきた頃は、本当に感情のない子で、誰ともつるみたくありません、みたいな態度だったのにね』
「今でもそう言う態度をとることはある。けれど……変わったな。俺様達が、変えたんだ、きっと」
『じゃあ、話さなきゃ』
「話したら、また心配させてしまうぞ」
『話さなかったら傷つけるだろ』
 【彼】の勝ちだった。統也は潤む瞳をぱちぱちと瞬かせると、掠れた声で「そうだな」と呟いた。そして、それを紫乃に聞かせてやるのは、紛れもない【彼】である事を、一瞬の後に理解したのだった。

──────────

 統也は最初から二人だった訳では無い。ほんの幼い頃の彼はまだ、両親からも二人の兄からも、普通の家族と同じように愛されていた。けれど、ランドセルを背負い始めて暫く経つと、両親も兄も統也を腫れ物のように扱い始めた。統也自身はいつもと同じように行動している筈なのに、『訳の分からない動きをする』『傍に居たはずなのに、すぐに行方が分からなくなる』『気味が悪い』と口々に冷たい言葉を浴びせかけられた。大人しくしていろと、薄暗い物置に閉じ込められて、鍵をかけられる。一人ならばきっと、怖くて哀しくてすぐに泣きだしていただろう。だが、その時統也はもう一人ではなかった。暗闇に入った瞬間から、『魔王』は統也のすぐ側にいた。
「君、だれ……?」
『俺様はお前だよ。お前が一人きりで怖くならないように、この暗闇で作られた、もう一人のお前』
『魔王』はそう言うと、統也に力の事を教えてくれた。統也が無意識に使っていたその力は、周りの時間を止めることが出来る能力で、周囲が静止している間にも、統也だけが動きまわれるせいで、時間にズレが生じているのだと、『魔王』は実に可笑しそうに言った。
「おれは普通に過ごしてても、父さん達にとっては、おれが一瞬で別の場所に行ったように感じる、ってこと?」
『その通りだ。その歳にしては飲み込みが早いな。賢いぞ』
「お前だっておれだろ? 兄貴ぶるのはやめてよ」
 統也が頬を膨らませてそっぽを向くと、『魔王』は思いの外焦った様な声音で統也を引き留めた。
『失敬。てっきり、お前は兄弟からの愛情に飢えていると思っていたのだが……』
 しゅん、という擬音が聞こえてきそうな程萎んだ声を聞くと、今度は統也が慌てる番だった。
「あ、や、そういう事なら、全然、いいけど」
 こういう時、口下手なのが嫌になる。『魔王』の言う事が本当なら、彼もまた統也自身なのだ。自分自身にすら優しく声をかけてあげられないなんて、そりゃあ力なんて持っていなくても虐げられる性格だよ、とため息を漏らす。
『俺様はそうは思わないがな』
「は? なんで」
『優しくありたいと思っているなら、それはもう優しいという事なのでは無いか?』
 その声は、不覚にも統也の心を大きく揺さぶった。そんな言葉は、当然今まで誰にもかけられたことは無かったし、本やテレビで見聞きしたフレーズでも無かった。自分の知識に無い言葉を、もうひとつの人格が発するだろうか?
「お前……本当におれ、なの?」
 物置の中は広く、真っ暗で、真っ暗闇の中では、自分の輪郭すらもあやふやで。統也は本当に一人きりなのか、それとも、最初からここには他に【先客】がいて、そいつが統也の中に入り込んできたのか。境界線は曖昧で、目の前がクラクラした。目眩を止めようと必死にもがく統也の耳元で、『魔王』は声を潜めて呟いた。
『仕方ない。真実を教えてやろう。本当は、俺様に名前等無い。俺様は人の屍に寄生して生きる存在だ。それらの総称を、人は【略奪者】と呼ぶらしいが……俺様はとりわけ優秀な個体のようで、生者であるお前の中に入り込むことが出来たようだな』

──────────


【声の能力──魔王】


『思い出した?』
「思い出した」
 飛び交う瓦礫が宙に静止して、少年たちは、次の一歩を踏み出さんばかりの前のめりな姿勢のまま、マネキンのように動かない。二人で一斉に力を使うと、力の及ぼす範囲は戦場一帯にまで広がるようだった。統也は、緊迫した表情のまま固まっている仲間たちを順番に見回すと、ぎゅっと唇を噛み締めた。これまで、ずっと仲間のふりをして戦ってきた自分は、彼等とは一線を駕す存在だったのだと、その事実だけが体に刻み込まれていく。
「決着をつけよう【統也】。お前にこの身体を、返すよ」
 【統也】とも、皆とも、離れたくは無いけれど、もっとずっと一緒にいたかったけれど、泣きたくて喚きたくてたまらないけれど、これ以上自分がここに存在していても、余計な禍を招くだけだということは、痛い程に解っていた。今にも中身が零れ落ちそうなカップから、余分なものを掬いあげる。それをしなければならないのは【統也】だ。淘汰される側の自分は、ただ彼が、心を決めるのを待つことしか出来ない。
 何時間にも思える、長い無風の時が過ぎ去った。やがて【統也】は小さくため息をつくと、そっと立ち上がる。
『……やっぱり、お前、ちゃんと思い出していないみたいだね』
「え……?」
 全く予想だにしなかった呆れたような物言いに、統也は拍子抜けしたように声を漏らした。【統也】は、柔らかくはにかむと、そっと内側から、統也の心に身を寄せた。
『消えるのは、おれの方。【略奪者】は、最初からおれの方だったんだよ』
 まるで幼い言い聞かせるかのように、【統也】は一言一言丁寧に言葉を紡ぐ。何も言えず、ただ目を見開くばかりの統也に、【彼】は乾いた笑い声を出しながら、真実の答え合わせを始めた。それは、思い返してみると実に、実に単純明快なもので。
『【略奪者】って、そもそもどんな物だったか、答えられるよな』
「それは、人の性質を奪って生きる……あ」
 全てを理解したように、そして、その考えを細かく噛み砕くように、統也は何度か瞬きをした。
「お前は、元々の俺様の性格を模倣して、少しずつ、奪っていったんだな?」
『そういう事。そうしないと生きられなかったからね。でも、面白いのはさ、同時に統也の方も、自分の意思でおれと同じ事をしてたってとこ』
 肩を竦めて【統也】は心底可笑しそうに目を細めた。その姿は、今ではもう想像ではなく、はっきりと統也の目の前に、実態となって現れていた。
『おれ達、互いのようになろうとして、いつの間にか性格が入れ替わっちゃったんだよ』
 両手を下ろして、【統也】が寂しげに微笑む。その身体を通して、遠くの空が透けて見えた。夕方から夜へ巡っていく、その境目。淡い紫色の空だった。
『だから、消えるのは、おれの方。お前の身体はおれみたいな怪物を抱えながら生きるには、もう限界なんだよ』
 すうっと音が聞こえてきそうな程、薄く儚い身体。拠るべき所を失って消えていこうとする【彼】を、そうしてはならないと分かっていても、統也は引き留めずにはいられなかった。
「待ってくれ、まだ、行かないで」
 触れることが出来なかったはずの幻に、一瞬だけ、統也の手が重なった。指先から伝わる【彼】の手の感触は、まるで本物の人間のようにあたたかかった。何か言わなきゃ、咄嗟にそう思った。【彼】が消えてしまう前に、伝えたかったこと、今までのこと、これからのこと、二人で守っていきたかったあの子のこと、全部。言葉はこんな時ですら上手く形にならなくて、それでも、緩やかな流れをもって飛び出していく。
「俺様はいつも、肝心な時に何も出来ない。俺様を支えて、生かしてくれたのは、お前だった。お前は、絶対に怪物なんかじゃない。世界一やさしい、大切な人で、紫乃もきっと、俺様を通してお前のやさしさを見てた。おれと紫乃は似てるから、きっと、」
 紫乃だってお前の方を必要としてる。叫ぶように紡いだ必死の訴えは、されど【彼】の消失を止めることは出来なくて、声に出した端から泡になって宙に消えていく。でも、それでも、【彼】には、【統也】には、伝わっていた。
『大丈夫。生きていけるさ。守っていけるよ。今のおれを創ったのは、お前なんだから。おれを変えたのは、お前なんだから』
 紫乃が見ていたのはいつだって、本物の夜月統也だったよ。統也であり魔王でもある、勇敢な人間の姿だったよ。夜空と同化した【彼】の最期の笑顔は、誰の目にも等しく輝く一番星のようで。
「なれる、かな。強さと優しさと、どちらもを持った人間に」
『なれるよ。お前なんだから』
「お前の分まで、守るよ。お前から貰ったものを、今度はあいつに渡すよ」
 誓った言葉が空に放たれるのと同時に、繋いだ指が離れていく。
『ありがとう、統也』
 それは、内と外から、同時に聞こえた。
『怪物と呼ばれたおれを、愛してくれて』

──────────

兄さんに優しくされるのって、こんな感じなのかな。
家族に愛されるって、こんなにあったかいのかな。

そばにいるはずだった、いたはずだった片割れを無くして。でも、残されたから、生かされたから巡り合えた。
そんな二人が、唯一無二の存在になるのは、まだこれから先の、未来の話。

──────────

 瓦礫に埋もれた03地区の危険区域。そこへ大量に現れた筈の【略奪者】は、何故か一瞬の後に全て消えてしまった。恐らく、夜に溶ける瞬間の眩い光とともに、【彼】が道連れにしていったのだろう。ざわめく少年たちの中、一人黙って空を仰ぐ統也の元に、紫乃はそっと寄り添うようにやって来た。
「あの人、消えちゃったんだね」
「……知ってたのか」
 驚いたように息を呑む統也の横で、紫乃は瞬き始めた宵の明星を見つめながら、小さく息を吐いた。
「統也の中に、別の誰かがいるってことは、何となく分かってた。触れていいことかどうか分からなかったから、何も言えなかったけど」
「ずっと、紫乃ことを心配していたぞ。俺様に託していなくなった」
 影の落ちていく顔の中で、金色の瞳だけがはっきりと紫乃の目に映る。自分が失った兄のように、いや、それ以上に、統也はこれから、大切な存在の欠片を自身の中に灯して生きていくのだろう。
 そして、今日からその先の、いつか途切れる未来の果てまで、次に彼の手を引いて歩いていくのはきっと自分なのだという覚悟が、紫乃の中には強く芽生え始めていた。
「じゃあ、僕も心配されないように頑張らないとね」
「共に精進だな。俺様も、いつか──」
 お前を守れるように。【彼】の前ではスラスラと出ていたフレーズは、何故か本人を前にすると、喉の奥に固まってつかえてしまった。
「? どうしたの、顔真っ赤にして」
「えっ……」
 指摘されて始めて、頬に火照りを感じた。まさか、これしきのことで、この俺様が恥ずかしがっているだと?
『あはは、かっこ悪いなぁ、お前』
 もう地平線に近づいた空の境目から、そう言って笑う【彼】の声が聞こえたような気がした。

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