top of page

第23楽章『奪われたもの』

 命に伝え得る全てを告げた後、祖父は命に【異能】の使い方と、身体を守る術を教えてくれた。祖父自身も対して運動は出来る方では無いと言っていたが、どうしたら命が力をコントロール出来るのか、一緒になって色々な方法を考えてくれたのだ。命は、普通の能力者では考えられないほどのスピードで、着実に【異能】をものにしていった。強くなることは、気持ちが良い。ウイルスだかなんだか知らないが、一度味方につけてしまえば、とても便利な力だった。
 命は祖父にとても感謝していた。だがその一方で、祖父の行動に若干の違和感を覚え始めてもいた。あの日から祖父は、普段の彼からは想像がつかないほどに焦っているのだ。命がこれに疑問を持つのももっともで、祖父は、いずれ自分が組織に消されてしまうという事実だけは、命に伝えないまま、隠し通していた。当然、それは彼なりの優しさだったのだろうと今なら分かる。けれど、あの日の命にとっては絶望でしかなかった。こんなに強くなったのに、一番恩返しがしたかった人に何も出来なかった。ふんわりした白いシーツの上で、皺だらけの手が少しずつ熱を失っていく。
「じいちゃん! やだよ、約束守れよ!」
「済まないね、私を許しておくれ」
「やだ、いやだ! だってオレ、じいちゃんにまだ何も返せてないのに。大人になったら、今までじいちゃんに貰ったもの全部、じいちゃんにあげようと思ってたのに……!」
 オレは、強くなったと思い込んでいただけだったのかもしれない。だってほら、今の自分はあまりにも無力で、大事な人一人すら守れなかった。衰弱してゆく祖父の前で、ただ泣きじゃくることしか出来なかった命。けれど、そんな彼を包み込むように、最後に好きだったあの温もりが頭上へと降りそそいだ。どんなに泣いていてもたちまち笑顔になってしまう祖父の手のひらは、どんな【異能】よりも魔法のようだった。
「もう十分だよ。私は、命や、皆から、たくさん贈り物を貰ったよ」
 そう言ってにこやかに微笑んだ後、でも、と呟いて、最後の最後で祖父がこちらを向いた。
「命、守れなかった約束の代わりに、新しい約束を、しても良いかな?」
「もちろんだよ。じいちゃんとの約束なら、なんだって!」
 嗚咽を堪えながら答えた命を見て、祖父は満足そうに頷くと、
「私の誇りであるお前に、二つのことをお願いするよ。まずは、これから産まれてくるお前の仲間を、どうか救ってあげて欲しい。そして、願わくば、二度と【異能】で悲しむ子どもが居なくなるように」
 頼めるかい? 最期のその言葉は、もう声にはならなかった。それでも、命は彼の意志をしっかりと受け継いだ。
「オレが救ってみせるよ。大丈夫、だってオレは、じいちゃんの家族だもん」
 その声は届いただろうか。きっと、届いているはずだ。閉じられた口元が、最後に少しだけ笑ったような気がした。

──────────

 ここから先の軌跡は、早乙女永遠の物語とリンクする。守りたいものは、失ったものの分だけ増えていくから、今度こそは間違えない。
 あの日、永遠の手を取ると決めた日、焼け跡から逃げ出そうとした二人を引き留めたのは、あのヴェールの女だった。命が警戒して睨みつけると、女は一瞬だけ口角を歪め不敵な笑みを作り出した。が、あくまでも表向きは仲良くなろうということなのか、それとも、命のような子ども一人など、敵視するにも値しないと判断したのか、彼女はこちらに向かって真っ直ぐ手を伸ばしたのだった。
「選びなさい。わたくし達の所へ来るか、他の子どもたちと同じように、別の施設で生きるか。……もっとも、後者を選べば二人で生きていくことは叶わないでしょうけど」
 選択肢があると見せかけて、最初から逃げ道などは存在していなかった。だが、永遠を救う為には、祖父との約束を守る為には、ここで絶望してなど居られない。どこまでも抗わなくてはいけない。
「行こう、永遠」
 女の手を振り払い、命は自らの足で立ち上がった。そのまま永遠の手を取ると、女に続いて、白みはじめた東の空に向かって歩き出す。この先に待っている子ども達が、もう何も奪われませんように。祖父ならきっとそう願う。
(オレもそう思うよ。助けるなら全員だ。全員で壊しに行くよ)
 命が救うべきは永遠だけでは無い。魔女の城に囚われている全てだ。命の中に留まっていた炎は、憎しみと悲哀を飲み込んで拡大していく。しかし、飲み込まれる直前、それを食い止めるかのように、繋いだ方の手がきゅっと圧迫された。慌てて隣に顔を向けた命が見たのは、不安げに揺れる大きな緑色の目。
「みこ、これから僕達どうなるのかな……」
 震える指先の感触が、直に伝わってくる。この少年は命を必要としている。次は守りきれるだろうか? そんな問いは愚問というものだった。
「大丈夫、何があっても、二人一緒なら」
 何としてでも守る、救う。愚直な命はそればかりを繰り返した。永遠の温もりに触れながら、繋いだ手を一層握りしめた彼は、理想の死角に気づくことが出来なかった。この時既に、命は自身の作り上げた正義に蝕まれていた。

──────────

 怒りで我を忘れる、という状態がどういうものなのか、今の命には嫌という程分かる。つい先程、目の前の怪物が斬りかかった永遠を一瞬で地面に叩きつけた。水色の髪が苦しげに揺れ嘔吐く様子見て、体に散りばめられた七つの口が可笑しそうに歪められた。
『この子は可愛いけど、とっても弱いねぇ。ワタシが欲しいものは、この子の中にはなんにも無いねぇ』
 その化け物には目が無かった。代わりに、気配で人間を区別しているようだった。
「お前、永遠に何したんだよ」
『えぇ? 弱いからやっつけたんだよねぇ』
 カラカラと木の実を転がすような音がした。こいつは笑っているのだ。倒れた少年を娯楽として眺め、嗤っている。その事に気づいた途端、血が沸騰するような感覚が沸き起こった。血管が壊死しそうなほど拳を握りしめ、震える唇で叫ぶ。
「笑うなよ……!  オレの仲間を傷つけておいて、そんな風に笑うな!」
 激しい剣幕に気圧されたのか、僅かに怪物の動きが鈍る。その瞬間を見計らって、命は本能のままに怪物へと向かっていく。
「行っちゃ駄目だ! 君まで怪我をしてしまう……!」
 命がしようとしている事を察した京は、真っ青になって声を張り上げる。だが、その声はもう届かない。

 


【声の能力】─『運命』

 


 祖父があの時声を荒らげた理由が、身体に染入るように理解出来た。強く脈打つ心臓が、狂気の正義を纏って燃え上がり、命自身ごと怪物を包み込む。それが、祖父が繋いでくれたいのちを捨てる行為だという自覚は無かった。外野からやめてと叫ぶ仲間の声も、橙の空を舞う風の音も、何も聞こえない。
 命のセカイは揺らめく炎の中だけだった。鮮やかな色のヴェールに触れる度、皮膚がじゅわじゅわ爛れていく。
『あつい、あつい、あつい……!!!』
「なぁ、オレたち、元々は同じものなんだろ? なのに、なんで奪うんだよ。……もう二度と、オレの大切な人たちから奪うなよ」
 祖父に、早紀に、永遠。傷つけられたのはいつだって、命の周りの大切な存在。その度に、命は己の無力差を突きつけられる。依然として火は身を焦がせど、微塵の熱さも感じなかった。怪物は、命を振り払おうと必死で四肢を振り回しながら、捲したてるように、七つの口を同時に開いた。
『周りの人間が傷つくのが嫌だなんて、そんなのはおままごとの正義!笑っちゃうねぇ!』
 心が、発火したように熱い。身体の痛覚はとうに麻痺してしまったのに、内側に潜む灯火には、確かな熱を持ってしてどくどくと油が注がれていく。
『それじゃあ、お望み通り、お前自身から奪ってあげようねぇ!』
 七人分の声量が空気を揺らし、怪物が一気に肥大する。奴は、周りの炎を全て飲み込み、赤黒く変色していた。まるで水膨れのように不格好に膨らんだ腕が、命の身体を握りしめる。ぎしぎしと骨の軋む音がする。潰される。
『嗚呼、いいねぇ、お前の目、お前の耳。とても精巧にできているねぇ。やっぱり、強い人間はいいねぇ』
 鋭い爪が命の右顔に伸び、目玉を抉ろうと爪先を曲げる。奪われる。今度はオレが。嗚呼、憎い、憎らしい……!!!許さない、許さない。絶対に渡してなるものか。こんな奴等に奪われるくらいなら……!
 鋭い切っ先がレンズに届く瞬間、命はもう一度力を使った。施設を燃やし尽くした時よりも、もっと強い力だ。目が眩み、全てがぼやけて見える。それでも命は止まらない。怒りの全てをぶつけて、怪物の眼前で自身の視界を焼き尽くした。

 


 どのくらい時間が経ったのだろうか。冷たい灰の感触と、頬に落ちてくるあたたかい雫。飽きるほど聞いてきたあの子の泣き声。それに混じるように、クスクスと邪悪な囁きが横切っていった。

『嗚呼、勿体ない、勿体ない。ワタシに取られたくないから、自分で焼いた、自分で機能不全にしたねぇ。…………でも、ワタシは諦めないからねぇ。あと一対、今度はお前の左目と左耳を奪いに行くからねぇ』
 
 声はもう一度、聞こえた。
 
『必ず、行くからねぇ』

──────────

「みこ、みーこってば! 何してんの? 授業終わっちゃったよ」
「ん……あぁ、ならいいじゃん。ラッキー」
 軽やかな声に話しかけられ、命はにやりと笑って受け応えた。あの日怯え泣いていた少年も、今ではすっかり憎ったらしい笑顔を見せてくれるようになった。
「ラッキーじゃないよ。ひびっきーめちゃくちゃ怒ってたよ。きっと後でまた補習じゃない?」
「うわー、マジか」
 ガックリと肩を落としてみせると、永遠は心底可笑しそうにけたけた笑った。今は、それで良い。辛い日常の中でも、笑顔いられる瞬間があるのなら、それはきっと、とても幸せなことなのだと思う。こんな時、月並みな言葉しか出てこないのが、いかにも命らしかった。
「とわ」
 何百回も呼んできたはずの名前を、今更ながらに、撫でるように大切に呼んでみる。
「ん、何?」
 こちらを覗き込む美しい緑色は、浅瀬を映した宝石のようだった。曇りないその眼を目にした命は、ふっと微笑を浮かべると、元々用意していた言葉を喉奥へと転がして、心の奥底に埋め直した。代わりに取り出したのは、戦友としての差し障りない言葉。
「絶対、逃げような」
「うん」
 いつの間にか、雪は止んでいた。分厚い雲の切れ間から、申し訳程度に差し込んだ光を見ながら、命は頬をゆるめる。踏みしめた土の下では、春を待つ植物たちが、そっと息を潜めて、開花の時を待っていた。

bottom of page