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​第7楽章「顔」

 モニター越しの輝く世界。スポットライトに照らされた自分の姿を見ていると、歓声と熱気が入り交じり、身体中が沸騰するようなあの感覚を切に思い出す。永遠と統也の二人とダンスのモーションを確認していた翼は、永遠のタブレットを覗き込んで、ある所で停止ボタンをたタップした。
「ここ、ズレてない? 前にいる京先輩と、永遠くん達の動きが合ってない。多分、永遠くんたちの方が少し遅い」
「えー? そう?」
「俺様には普通に見えるぞ」
 揃って首を傾げる二人に、翼は信じられないとばかりに食い下がる。
「よく見てよ。分からない? 揃ってない、美しくないんだってば」
「つーちゃんそう言うとこよく気づくよね。僕全然分かんね」
「同居人の【能力】を知ってれば頷けるがな」
 そう言って、神妙な顔つきで腕を組んだ統也に向かって、永遠はぱちぱちと目を瞬かせた。
「そういや僕、つーちゃんやまおちゃんの力について詳しく知らないかも。きょーちゃん達程使わないよね? ……あっ、ごめんごめん、使えないんだっけ? 弱いから」
 にやりと笑って口元に手を当てる永遠。あからさまに煽られて、統也はこぶしを振り上げ目を釣りあげた。
「今はまだ然るべき時が来ていないだけだ! 今に見ていろ、気高い龍を眷属に持つ俺様の本気を見せてやる……!」
「あははっ、まおちゃんガチギレしてる、やば」
 腕を振り回す統也を上手く躱しながら、永遠は机に腕を投げ出して、ひんやりとした木目にぴったりと頬をつけた。一部だけぴょこんと飛び出した髪を揺らしながら、上目遣いに翼を見やる。
「それで、どんな力が使えるの、つーちゃんは。僕のヤツみたいに、精神干渉型? だとしたら力を制御出来るようになるまで時間がかかりそうだね」
 含みを持たせた声音で、透き通った大きな翠色が翼を捉えて離さない。翼はピリリとした視線に思わずごくりと喉を鳴らすと、小さくため息をついて永遠の隣に座った。
「全然違うよ。制御に時間がかかるって言うのは同じだけど、ボクのは精神じゃなくて、肉体干渉型」
 呟いてから、揺らいだ声を整える。歌うように、流れるように、翼が右腕をあげる。すると、永遠の右手も同じように、同じ手のひらの角度で、翼の腕に吸い付くように持ち上がった。
「うぇ……!? すげ、僕今どうなってる?」
「同居人に操られているに決まっているではないか」
 少し離れた所から二人の動きがシンクロする様子を見ていた統也は、そう口にして満足気に頷いた。
「半径3メートル圏内に入ったものを、自由自在に操る事が出来る。まるで、同居人のエスコートによって優雅に舞っているかのように見える事から、俺様はこの力を【死の舞踏】と名付けた」
「へー……。本当の名前は何て言うの?」
「『歌の翼に』。ボクにピッタリでしょ?」
「確かに」
 立ち上がり、くるくると回る翼に合わせて永遠の身体も同じように回る。きっと無意識なのだろうが、楽しそうにふわふわと踊っている翼を見ていると、永遠はどうにも嬉しくなってしまうようだ。身体だけでなく、心も連動しているような、不思議な感覚だった。
「成程ね。面白いじゃん」
 翼の能力から解除された永遠は、まだ操られていた感覚の残る右手を繰り返し握りながら、にんまりと口角を上げた。
「敵に近づきさえすればこっちのもんじゃない? この力なら、制御出来なくたって、自分が無茶な動きをしなければ大した被害は出ないだろうし……もっと効率よく使えばいいのに」
 自らの手を見つめながら、永遠は半ば興奮気味に口走る。spiritoの中でも、永遠と命は不思議な程に戦闘に乗り気だった。一体何が彼らを突き動かす原動力となっているのか。恐ろしい敵にも一切物怖じせずに立ち向かっていく二人が、翼達には異様に大きく見えていた。
「そう、だね。永遠くんならそう言うよね。でもボクは……」
 視線を落としてズボンの裾をギュッと握る。ポケットに入った手鏡の、冷たく硬い感触が、布越しにぴたりと触れている。
「やっぱり、傷つけられるのは怖いよ」
 やるせなく零れた言葉は、翼以外の耳に届く事はなく、地面を彷徨いすぐに溶けてゆく。聞き返そうとして、永遠が身体を前に乗り出した。その時だった。
 けたたましいアラームの音が部屋に響き渡る。誰からともなく目配せをし、三人は部屋を飛び出した。並んで廊下を走りながらも、永遠は翼の表情を横目に見る。確かに何かを言いかけていた、その言葉の続きを、今すぐに聞き出しておかなければいけないような、そんな気がした。しかし、そんな暇等ある筈も無く、あっという間に転移室につき、【略奪者】の出現地区にまで送られる。黒い空間から開放されると、既に彼等は深い森の中にいた。講師から必要事項を聞き取った京が、八人を一箇所に集め、今回のターゲットについて詳しい確認を行うこととなった。
「今回出現した【略奪者】の数は全部で三体。数は少ないけれど、どちらもステージ3の怪物だ。倒すのにはまあまあ手間取ると思ってもらって良い。それに……」
 京は全員の顔を見渡すと、苦々しい顔で呟いた。
「今回は、同時刻に別の場所でも大量の【略奪者】が確認された。今日ここで戦えるのは、僕達だけだ」
 いつもなら、戦場であっても落ち着いていて優しい京の声が、この時ばかりは一段と張り詰めていた。彼らに課された今回の使命は、それ程までに危険なのだ。
「とりあえず、戦力を三つに分けよう。僕と統也くんが一体目、郁と命くんと紫乃くんが二体目、永遠くんと翼くんと光希くんが三体目だ」
 京は強ばった顔のまま、それでもなおテキパキと指示を出す。その様子を、郁は何かを思案するかのように静観していた。あの日の一件以降も、京の態度は表向きには全く変わらなかった。常に最前で皆を導く、優しくて頼れるリーダー。その枷は恐らく、これからもずっと彼に付きまとったままなのだろう。だが、郁は知っていた。彼の内面を理解することが出来た郁には、京が少しずつ変わりゆくあることを、確かに感じ取っていた。
(……以前の京ならきっと、光希の事は自分が守ろうとしていただろうな)
 自身の釈放と、後輩達への信頼。それをさり気なく態度で示す。京本人は真っ向から否定したが、やはり郁は、京の持つ為政者の才を心から尊敬していた。
「郁先輩、早く行こ」
「オレらんとこが一番に倒してやろうぜ」
「あぁ、そうだな」
 郁を急かす命と紫乃に頷いてみせると、郁はそっと京に背を向けた。

──────────

「つーちゃんさ、力、使ってみなよ」
 光希を真ん中に挟むようにして歩きながら、永遠は最後尾にいる翼に向かって明るく話しかけた。俯いていた翼は、その声にハッとしたように顔を上げる。
「そ、そんな急に。ボクは……」
「僕がいける所まで制御してやるからさ。まずはやってみなよ。ひかりんにも良いとこ見せなきゃでしょ」
 翼に向かってぱちっとウインクをすると、永遠は光希と目を合わせ「ねー」と同調を誘うように首を傾げた。二人の様子を交互に見ていた光希は、わたわたと焦りながらも、小さく頷いた。
「僕、見てみたいです。先輩達の力を間近で見て、早くコントロール出来るようになりたいので」
「ほら、ひかりんも期待してるってさ」
「うーん……期待に応えないのは美しくない、よね」
 軽々しく口を開きながらも、少し無茶をさせてやしないかと案じていた永遠は、その返事に安堵すると共に、僅かな驚きを覚えた。翼は、そんな永遠の心情を知ってか知らずか、先程とはうって変わって花のような笑顔を向ける。それはさながら、光希が紙面で初めて見た彼の表情によく似ていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。永遠くん、サポートよろしくね」
「りょーかい」
 短く返事をすると、永遠は翼と軽く手を合わせ、木々の影から素早く飛び出した。
『あああ…………あ………………』
 首をぐるりと回転させ、虚ろな目が永遠を捉える。男なのか女なのかも判別のつかないその顔は、どうやら長い年月をかけて既に腐りかけているらしい。声帯はあるものの、獲得してからまだ日が浅いのか、呻くような音を漏らしているだけだった。
「うわ、お前キモくない? 一回鏡みた方がいいよ」
 永遠の面白そうな声音に、物陰に潜んでいた翼と光希は揃って顔を顰めた。落ち着いている、と言うよりは、まるでこの状況を楽しんでいるような、永遠からは、そんな異質な雰囲気が漂っていた。
「どこから来るの、あの余裕……怪我が完治してからまだ日も浅いはずなのに」
「経験の差でしょうか……」
 顔を見合わせ、二人して微妙な表情を見せる。しかし、そうこうしているうちに永遠はあっという間に【略奪者】の動きを封じてしまったようだった。鋭い枝が密集している所に、ぐにゃりとした体が絡まっている。
「つーちゃん、出番だよ。多分、顔そのものが弱点なんだと思う。その辺の枝にぶっ刺してやれよ」
「うん、わかった」
 背後に不安げな光希の視線を感じながら、翼は呻いている顔としっかり目を合わせた。

【声の能力──歌の翼に】

 翼はその顔を見つめながら、エスコートをするように手を取り、くるりと回ってみせる。すると、木々に絡まった体が同じようにぐるりと捻れた。呻き声をあげる間もなく、胴体が引きちぎれ、地面に落ちる。
「全く美しくない。死人の顔だよ、これ」
 腐乱した顔が、翼と同じように歪む。今この時、翼は醜さの象徴と連動している、繋がっている。死者と繋がるその感覚は、ひたすらに気持ちが悪かった。だが、恐ろしい事に、翼はその中に、ある種の安らぎもを感じ取っていた。

『だって、あなたは既に死んでいるようなものでしょう? 私が居なくなったんだから』

 顔。何者でも無かったはずのその顔は、いつの間にか、幼い頃からよく知っている顔にすり替わっていた。誰よりも強く、美しく、翼を導いてくれた、母の顔に。
「どうして……」
『私を傷つけることは、あなた自身を傷つけること。生き残ってしまったあなたは、私の分まで輝きを保たなければならないわ』
「違う……お前じゃない。お前は母さんじゃない」
 振り切るように顔を背ける。同じ動きで右を向いた【略奪者】の顔面に、鋭い枝が突き刺さる。その刹那、翼の頬にも激しい痛みが走った。
「つーちゃん、良くやった! すっげぇ!」
 遠くからその光景を見ていた永遠は、さらさらと崩れていく【略奪者】の身体を見て、光希の手を引きつつはしゃいだ声音で翼に近寄った。だが、永遠が意気揚々と肩を叩くと、翼はびくりと肩を震わせて、怯えたような目でこちらを凝視した。
「ボク…………いて、ない……?」
「ん? どしたの?」
「ボクの顔、傷ついて、無いよね……? 母さんが壊れちゃった、ボクも死んじゃう? どうしよ、壊しちゃった、ボク、自分で、あぁ……!」
「つーちゃん? 何言ってるの、ちょっと落ちつきなよ。少し擦りむいてるだけだよ?」
 翼を落ち着かせる為頬にそっと手を這わせ、諭すようにゆっくりと目を合わせる。大丈夫、と優しく頬を包み込むと、怯えた目がふっと和らいだ。
「ごめん。やっぱり、ちょっと怖くて」
 何かを諦めたような声で、息を吐く。あたたかい風が手にかかり、永遠は翼がこちら側に戻ってきたような安堵感を覚えた。
「良いんだよ。……ひかりん、そろそろ帰ろっか」
「はい。あの、翼さんは……」
「大丈夫。少し取り乱しただけだから」
 心配そうにこちらを見つめてくる光希に向かって、翼は力なく微笑んでみせる。だが、とても大丈夫そうとは思えない青ざめた顔に、光希の顔は沈むばかりだった。
「全然大丈夫じゃないじゃないですか。辛いなら休んでください。僕、先生に伝えてきます」
 キッと目を吊り上げ、光希が反論する。光希の事を、先輩の話には常に首を縦に振っているような、従順で流されやすい少年として認識していた翼は、思わず狼狽えた。ぱちぱちと目を瞬かせる翼に、そっと寄り添っていた永遠はニカッと笑ってみせる。
「ひかりんの言う通りだよ。強がってんのは美しくないんじゃない? 休んでな。僕は先生を呼んでくる」
 翼を刺激しないよう囁くように呟いて、永遠はその場を去ろうとする。だが、その足はすぐに動きを止めた。振り返ると、泣きそうな顔の翼が永遠の服の裾を掴んでいた。
「つーちゃん?」
「……聞いて、欲しいんだ。このままじゃ、これから先ずっと、怯えてしまう気がするから」
 触れたくても触れられなかった源。常に自信家で能天気。自分と似ているようで、実際は全く思考の読めない友人に、こうして頼られるのが純粋に嬉しかった。永遠はぴょこんと髪を揺らし、翼の隣に勢いよく座った。
「不安そうなつーちゃんは嫌だからね。僕とひかりんに、隠してること全部教えて」

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