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​第3楽章「秘め事」

 丸い二つの瞳が、八人の少年達を見つめている。高く結んだポニーテルを揺らしながら、理沙子は小さく息を吸い込むと、嬉しそうに勢いよく両手を合わせた。
「皆さん初めまして! 私は、本日より皆さんをサポートする特別講師及び、皆さんの総合プロデューサーとなる、東理沙子です!」
 まだ互いの溝も狭まっていない少年達は、理沙子の明るさに少し気後れしているようだった。せめて先生の前では取り繕えるようにならなければ。そんな事を思いながら、京は率先して彼女に歩み寄り、笑顔を向ける。
「リーダーの御沢京です。よろしくお願いします、東先生」
 後輩達が素っ気ない分、殊更丁寧に頭を下げた京見て、理沙子は笑顔で首を振った。
「いやだ、先生だなんて柄じゃないわ。そうね……気軽にりっちゃんって呼んでくれる?」
「りっちゃん……ですか」
 唖然として目を見開く京を食い入るように見つめ、理沙子は何度も頷いた。
「そう! そうよ! そう言うのもっと頂戴!」
 理沙子はきらりと光る瞳で視線を横にずらすと、すぐ隣にいた光希を捕える。獲物を見つけた鷹のような目が、さぁ!君も早く!と問うていた。
「えと、あの……」
 戸惑う声が、京に助けを求めている。何となく、やってきた時から何処か妙な雰囲気のある女教師だとは思っていたが、生徒との距離がかなり近いタイプなのかもしれない。その一方で、光希はどちらかと言えば控えめで、内向的な性格だ。ここは自分が潤滑油にならなければと、京は二人の間に割って入る。
「でも、やっぱり先生である事には変わりありませんから。せめて理沙子先生と呼ばせてください」
「あら、そう? 残念ね~」
 理沙子は少し悲しそうに眉をひそめていたが、それ以上は追求してこなかった。先程のような明るい態度に戻ると、他のメンバー達に近寄って挨拶を始めている。その様子を横目に見ながら、京はゆっくりと光希に近づいた。この二週間で、新入生達は学校独自の特殊なカリキュラムを順調にこなしていた。だが、順調とは言っても、普通の学校の授業に加え、歌やダンスの等のパフォーマンス、戦いの基礎、【略奪者】に対する予備知識までの全てを詰め込みで学ぶのだ。疲労がたまらないわけが無かった。
「大丈夫、光希くん。疲れてないかな?」
 優しく声をかけられた光希は、ハッと京を見上げると、柔らかく微笑んだ。
「大丈夫です。疲れてはいるけど、早く僕も、皆さんに追いつかないと」
 その瞬間、彼の可愛らしい顔に一筋の影が入り込む。とても十歳の少年とは思えないような精悍な顔つきに、京は一瞬面食らった。自分の目指すべき道を真っ直ぐに捉えているその目は、未だに外と内との狭間でゆらゆらと揺れている自分と、何と違うのだろう。
「京さん? どうかしましたか?」
「え……あぁ、いや、何でもないよ。やる気があるは良い事だ」
 心の中から滲み出そうになった黒い影に蓋をして、京は咄嗟に笑顔を貼り付ける。光希は彼の思考になど気づくはずもなく、理沙子と話しているメンバー達を見つめながら呟いた。
「ここの皆さんとは、まだあんまり仲良くなれないけど、京さんがいるから安心です。京さんは頼れるし、凄く優しい人だから」
 明るみに晒された声と、羨望の眼差し。それを、京は偽物の受け皿で掬いとる。ありがとうと答えた声は、作り物じみてはいなかっただろうか? 心の奥にある鉄格子から、『頼れるリーダー』『優しい先輩』を嘲笑するような声が聞こえてきた。

(本当は誰も助けられない癖に)
(皆お前の作った虚構の存在に騙されているんだ)
(あの時だって、お前は上手く本性を隠した)
(【彼】が、罪を被ってくれたんじゃないか)

 声は強く反響し、京の体全体に響き渡る。苦しい、苦しい。こんな風に、賞賛されるべきなのは、本当は、僕じゃない。本当は……
 光希に不調を悟られぬよう、京は内側からのしかかる圧に必死で耐えた。この後の言葉をどう返そうかと、ふらつく頭で思案していると、不意に向こうから永遠の明るい声音が聞こえてきた。
「じゃあじゃあ、りっちゃんのスリーサイズ教えてよー!」
 女性に向かって何て事を!と焦りが先行するのと同時に、その緊張感の無い声に、思わず助かったと胸を撫で下ろす。京は、そのままいつもの態度に戻ると、永遠の首根っこを掴んだ。
「君は、先生に何て事を言ってるのかな?」
「だ、だってりっちゃんが何でも聞いて良いって言うからさー!」
「限度ってものがあるだろ。理沙子先生、すみません」
 初日から説教を食らうのは勘弁だが、この厄介な後輩を野放しにしておくよりずっと良い。永遠の頭をガシッと掴み無理やり下げさせると、予想に反して理沙子はにんまりと口元を緩めた。
「あら、良いのよ。知りたいなら教えてあげても」
「ほんとっ!?」
 意外な答えに京が一瞬フリーズしたその隙をついて、永遠はするりと拘束から逃れると、理沙子の目の前に現れた。
「もちろん。でもその代わり……」
 口元を抑えた理沙子の表情が変わった事に、永遠は気がついていないようだった。しかしその時、ずっと後ろで事態を静観していた命が、会話を断ち切るようにそっと手を挙げた。
「そろそろ、レッスンしません?」
 前髪で半分隠れた命の顔は、いつもあまり良く見えず、それ故に底知れぬ恐ろしさを生み出していた。まだ警戒心を持ってる子も多そうね、とため息をつき、理沙子は何事も無かったかのように辺りを見渡した。
「そう、ね。いつまでもお話していたら他の先生達に怒られちゃうもの。では、早速ダンスレッスンを初めて行きたいと思いまーす。まずは、デビューライブに向かって頑張りましょうね~!」
 大袈裟な動作で、理沙子は拳を天につきあげる。話題を逸らされた事で少し不満そうにしていた永遠は、単純なのか何なのか、その声を聞くや否や、教育番組に出演している子どものようにはしゃいで彼女の真似をした。肩の傷口は、もう抜糸も済み完治しているようだった。命が、彼の様子を見て少しだけ目を細めたのが、京の所からも良く見えた。
 光希を紹介した日から、ギクシャクしてしまう事を避けてか、あまりメンバー達と絡む事はしない命だったが、その視線は時にあたたかく映る。京は、彼の気持ちを痛い程に分かってしまうが故に、軽率に話しかける事が出来ない自分をもどかしく思った。
 メンバー達をまとめるという事に関しても、京は随分と難航していた。仕方の無い事と言えばそうなのかもしれないが、自分がもっと上手く二人の間に入れていれば、命を悪者のような立ち位置に置いてしまう事も無かっただろう。それだけではない、紫乃や統也・翼のフォローも十分にしてやれなかった。あの時も、メンバー達を上手くまとめ雰囲気を和らげていたのは、自分ではなく彼だった。京は、隣で真面目に体を動かしている同期を、そっと見上げた。何を考えているのかよく分からないその顔は、今日もやはり、外からは何の情報も推察する事が出来ないほどに無表情だった。この顔の奥で、彼は一体何を考えているのだろう。何を考え続けてきたのだろう。京にはそれが分からない。五年も一緒にいるのに、何ひとつ分からなかった。
 きっと、それを分かる事が出来ていたのなら、京は本心から皆に歩み寄れたのかもしれない。

──────────

 【略奪者】の襲来を学園が感知したのは、理沙子の初レッスンを受けてから三日後の事だった。座学の授業中に、クラスメイト達のタブレットから、一斉にけたたましいベルの音が鳴り響く。丁度、ホワイトボードに古典の一節を書き写していた日野川は、突如鳴りだしたアラームにも動じず、冷静にタブレットを起動させた。
「襲撃だ。今回は少し規模が大きいようだね。個人番号1670、1678、1702。以上の生徒は班員を連れて即転移室まで移動するように。【略奪者】の出現場所は……02地区だ」
 日野川が告げた番号の中には、京の個人番号1678も含まれていた。京は素早く立ち上がると、斜め後ろに座っていた郁と共に、必要最低限の荷物を持って教室を飛び出した。
 襲撃への対策部隊は、毎回数チームのみで構成されている。その為、指名された生徒とその班員以外は、ベルが鳴り響いたとしても座学を続行する事になるのだ。日常を生きる者と、非日常の中に放り出される者の人生が、この瞬間に交差する。
 人気の無い廊下を走りながら、京は冷静に郁へ指示を出す。
「君は先に転移室まで向かってて。僕は、光希くんを迎えに行ってくる」
「あぁ、任せた」
 短い言葉だが、彼にはしっかりと伝わった様だ。走る速度を落とした京の横を、勢いよく郁が追い越していく。その背中をちらりと一瞥した後、京は方向を変え、10期生の教室へと急いだ。

 もう一人のリーダーと共に京が教室の前に着くと、そこには支度を整えた光希と、光希に寄り添うように立っている活発そうな少年の姿があった。
「直哉、行くぞ!」
「はいっ! 光希、また後でな」
「うん、またね」
 直哉と呼ばれたその少年は、初めての戦闘前とは思えない程手慣れた様子で駆け出していく。それを追いかけるように、京も光希の手を取って走り出した。
「今の子は、友達?」
「はい、同じ部屋の子です。……あの子がいなかったら僕、多分、この学校から逃げてました」
「え……?」
 唐突なその言葉に耳を疑う。京が思わず足を止めると、光希は我に返って、申し訳なさそうに唇を噛んだ。
「すみません、こんな時に」
「いや、良いんだよ。あの子は、光希くんにとって大事な子なんだね」
 止まってしまっていた足を再び動かしながら、京は柔らかく尋ねる。光希は彼の問いかけに、先程とは打って変わって明るい笑顔で答えた。
「そうなんです。直哉くんが、一番最初に立ち向かってくれたから、僕も立ち上がらなきゃって思えたんです」
 廊下の奥、小さくなってゆく少年の姿を見つめながら、光希はその後を追うようにゆっくりと、だが一歩一歩確実に足を踏み出した。その速度は段々と上昇し、足取りは、彼の気持ちと連動するように軽やかになっていく。光希は、一体こんな小さな体で、どこまで行ってしまうというのだろうか。前を見据え走っていく後輩の背中が、ふと、昔の自分と重なった。責任感に押しつぶされながらも、前へ進めば理想の自分になれると信じ、必死に走っていた、あの頃と。

──────────

 京と光希が転移室に着くと、そこには既に他のメンバー達が揃っていた。今回の襲撃には、spiritoの八人を含む、総勢二十五名の生徒達が参戦する事になっていた。自身の装備を整え、光希に身支度の方法を教え、メンバーに指示を出し、同期達と最終確認をする。そこまでの一連の流れを終えると、京は転移室の奥にぽっかりと空いている、大きな丸い穴まで光希を連れてきた。
「転移室って言うのは、その名の通り、別の場所に移動するための部屋だ。この穴が転移陣になっていて、日本全国各地……世界中にだって一瞬で移動できるようになっているんだ」
 言葉は既に習っていても、転移陣の実物を見るのは初めてだったらしい光希は、京の説明に目を丸くすると、恐る恐る転移陣の中を覗き込んだ。
「本当に、02地区まで行けるのかな。ここからだと、新幹線で2時間はかかるところですよね」
「まぁ、見てて」
 彼の年相応な反応にそっと安堵した京は、光希の手を取って、転移陣の暗い穴の中へ足を踏み入れた。すると、黒い面と接した足が、みるみるうちに吸い込まれていく。
「わっ……」
「大丈夫。何も怖くないよ。目を瞑っていればすぐだ」
 琥珀色の瞳が、ゆっくりと渦を巻くブラックホールのような空間をじっと見つめる。この闇を見て、安心出来るようになったのは、一体いつからだろうか。
 そんな事を考えているうちに、二人の体は頭の先まで沈んでしまった。一瞬だけ辺りが真っ暗になり、気づいた時にはもう、二人は見知らぬ荒野の中にいた。
「ここは……」
 先程までいた場所とは、全く違う空間が広がっている。言葉を失い呆然と荒野を見渡す光希に、京はそっと細身の銃を手渡した。
「ここから先に、五百メートルほど行くと、危険区域に出る。【略奪者】達はそこにいる。……使い方は知っているね?」
 手のひらにすっぽりと収まるほど小さな銃は、その見た目に反してずっしりと重い。それは中身の重さなのか、光希の背負ったものの重さなのか。どちらにせよ、光希達は進まなくてはならない。
 いつの間にか、二人の後ろには他のメンバー達も到着していた。京は全員揃っていることを確認すると、胸元につけたトランシーバーを操作する。
「1678、危険区域に入ります」
『了解した。迅速で正確な討伐を頼む。そして、班員の命はお前に委ねられたも同然。心して守り抜くように』
「……はい」
 冷淡な講師の声を最後に、通信は途切れた。京は深く息を吸うと、後ろに控えている仲間たちに合図を出す。ここから先は、八人分の命が京ひとりに委ねられる事になる。

(大丈夫。今までだってやり通せた。きっと今回も、大丈夫だ。僕は……『頼れるリーダー』なんだから)

 それは消えない呪い。普段は自らを縛る要素でしかないその言葉は、この時だけは、心身を強く支える柱となり得る。京は全身に力を込めると、一歩前へと踏み出した。

──────────

 【略奪者】の形態は、今までに取り入れた人間の人数により様々に変化する。一般的に、五人以下の人間の要素を取り込んでいる【略奪者】は、元の影のような姿からさほど変わる事も無く、動きも鈍い。京のような上級生達は、【声の能力】を使わずとも支給された武器で事足りてしまうのだ。今回02地区に現れた【略奪者】達は、数こそ多いものの、その八割が未熟な個体であったため、京は光希達を守りながらも難なく討伐を続けることが出来た。

(だけど……)

 京は、何とか自身の走りについてきている光希を見て、グッと顔を歪める。やはり、光希たち新入生は、この環境下で生き残るだけで精一杯なようだった。震えながらも、先輩の支持に従い着いてくる光希や直哉はまだマシな方で、その他の新入生達の中には、その場に座り込んだまま一歩も動けなくなってしまっている生徒たちもいた。
 やはりまだ早すぎたのかもしれない。この程度の難易度なら、今日の所は戦闘の実情を教える程度に留めておき、新入生達は戦わせずに無傷で返すのが得策だ。特に、今年の新入生は例年よりも随分と少ないと聞いている。出来るだけ多くの後輩たちを活かしておかなければ、学園に未来はない。
 一瞬の後にそこまで思考を巡らせてから、京はハッと我に返った。この学園になど、とうの昔に嫌気が指していたはずなのに、五年に渡って刷り込まれた塀の中の常識は、京の思考をいとも容易く塗り替えていった。我ながら、何事にも染まりやすい性格なのだと苦笑する。そのまま後方で様子を伺っていた郁に合図を出すと、光希に視線を合わせるように片膝をついた。
「光希くん。郁について、他の同級生と一緒に危険区域から逃げて。ここから先は、少し厄介な敵も多くなる」
 そう語りかけた時に光希が見せた切ない表情の意味は、痛い程によく分かった。けれど、光希に前線を退くように言ったのは、決して彼の力を必要としていないわけだからでは無い。
「君達はこれから、力を磨いてどんどん強くなる。やがてはこの学園の要になるだろう。だから、君達にはその時まで無事でいなきゃいけない。君の【声の能力】を、上手く使う為にもね」
 不安そうな彼を少しでも安心させる為に、僕は大丈夫だからね、と柔らかく微笑んで見せる。光希は、服の裾を強く掴んで一瞬だけ悔しそうな表情を滲ませたが、すぐに真面目な顔になり、こくりと頷くと郁の元へと駆けていった。やはり素直で賢く、聞き分けの良い子だ。京は満足気にその背中を見送ると、数十メートル先で蠢いている【略奪者】の影を追った。
 奥の方にいた【略奪者】達は、今までの動きの遅い影のようなものとは全く異なっていた。恐らく、今回の襲撃において全ての個体を取り仕切っていたのは、彼らなのだろう。黒い胴体から人間の顔・手足が生えている者、巧みに言葉を使う知能の高い者、更には仲間と見間違うほど人間に酷似している者まで、様々だった。
「全部で四体。数は少ないけど、厄介そうなのが多いっすね」
「命くん……。他の皆は?」
「他の班のヤツらとも話して、使いもんになんねぇ8期生以降は全員帰らせました。郁先輩は危険区域から転移陣まで、皆を統率しに行ってる。永遠は……まだ傷痕が心配だから、オレが無理やり帰した」
 命は事実だけをサラリと述べる。立ち上がったまま、視線だけを京の方にずらした。その目は、 覇気に満ち光っていた。京は、命から追加の武器を受け取ると、曖昧に微笑む。
「そうか……賢明な判断だね」
「何だよ、何か言いたいことあんなら言えよ」
「……僕の事は、帰さなくても良かったの」
 うまく、顔を見る事が出来ない。俯いたまま小さく呟いた京を、命は目を細めて見やる。そして、何事も無かったかのように自身の武器を手に取った。
「何の話だ? 戦力になる先輩は、むしろここにいるべきっすよね」
「でも、きっと僕は……」
「敵が、来ます」
 言い淀んでしまった京の声は、命に掻き消されてしまった。京は小さくため息を吐くと、やつれた笑顔で「そうだね」と呟く。
「行こうか」
「おう」
 こちらに気がついた【略奪者】に向かって、京が真っ先に剣を振り下ろす。その様子を見つつ、別の個体を捉えた命は、聞こえているかも分からない彼の背中に向かって、そっと口を開いた。
「…………あれは、先輩のせいじゃねぇよ」

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