top of page

​第2楽章「覚悟」─後編

 永遠と光希が蟠り無く話せているのを確認すると、日野川は残りの事を永遠に任せ部屋を出ていった。永遠は動かせる方の手で日野川に手を振って見送ると、僕らも行こうと笑い、意気揚々と扉を開ける。
「僕はね、spiritoって言う名前のアイドルグループで活動してるんだ」
 少し大きめなのか、パタパタと靴を鳴らして歩きながら、永遠が言う。
「僕とひかりんを除くとあと六人いるんだけど、面白い奴らばっかなんだよ。例えば~」
 永遠は不意に廊下の真ん中で立ち止まると、どこまでも続く無機質な扉のうち、一つの扉の前にしゃがみ込んだ。よく見ると、扉の下の隙間からは、何やら細い紐のようなものが出ており、廊下を分断して反対側の扉の下まで続いていた。
「これは……何かのトラップですか?」
「そ。これに敢えて引っかかってみると」
 永遠はなんの躊躇いもなく紐に足を引っ掛けると、くいっと上に持ち上げた。すると──
「かかったぞ!ふははは、非力な人間め! 大人しく俺様に連行されるがいい! 」
「こういうのが出てくる」
「な、なるほど……?」
 扉の中から勢いよく出てきたのは、永遠と光希の間くらいの年齢に見てる少年だった。紫色のハネた髪と、意志の強そうな黄金の目、それからなんと言っても目を引いたのは、モコモコとした白い飾りのついた深紅のマントだった。
「あの、あなたもspiritoのメンバーなんですか?」
「む? 左様。俺様は下僕の悪魔spiritoを抱える魔王様だが、何か」
「もー! まおちゃん違うでしょ! ひかりん、この子はまおちゃんだよ。本当の名前は夜月 統也って言うんだけど、自分の事を魔王だって思い込んでるすっごいイタい奴だから、縮めてまおちゃんって呼んでるの」
「まおちゃんでは無い! 小童の癖に生意気だ。魔王様と呼べ!」
「僕の方が年上じゃんか!」
 光希を置いてけぼりにしてやいのやいのと言い合う二人。どちらも幼稚ですよ……等と言うことは勿論出来ず、光希が途方に暮れていると、ふと頭上に影ができた。次いで、ゴツン!と鈍い音が二つ、光希の目の前に落ちた。
「新入生の前でみっともない所を見せるだなんて。常識知らずもいい所だね?」
「う、きょーちゃん……」
「お前は、我が宿敵『赤毛の司祭』……」
 頭を抑えた二人が小さな声で呟く。その変わり様を見て光希が振り返ると、そこには優しそうな顔で、けれど何処か冷ややかな雰囲気の漂う赤毛の男が立っていた。見た所日野川と同じくらいの年齢に見えるが、講師服ではなく、指定の制服を着ている所を見るに、彼もまたここの学生なのだろう。
 彼が大人びているのか、日野川が幼く見えるのか……おそらく後者だ。男は、光希の視線に気がつくと即座に冷淡な空気を消し、片膝をついて彼と目線を合わせた。
「初めまして。新入生の光希くんだね? 僕は6期生の御沢京。spiritoのリーダーです」
「騎島光希です! よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げると、京は光希の頭を優しく撫でた。
「響希先生から話は聞いてるよ。最初は色々と……辛い事もあるだろうけど、困ったらいつでも僕を頼ってね。見た目は頼りないかもしれないけど、頭はそれなりに働くつもりだから」
 誰かに指摘された事でもあるのだろうか、京は自虐的に言い頬をかくと、「他のメンバーも紹介するよ」と光希に手招きをした。
「君たちも、いつまでも蹲ってないで、早く行くよ」
「僕怪我人なのに。冷たいなーきょーちゃんは」
「強大な力……やはり聖職者は好かん……」
 それぞれに不満げな声を漏らしながら、永遠と統也も後に続く。しかし、慣れているのか、京は呆れたように二人を一瞥すると、光希の手を取ってすたすたと歩き出した。
「少し、変わった子達が多いだろう?」
 気を使うように話しかけてくれた京に、光希も意識して笑顔を返す。
「そう、ですね。でも、面白い人達だと思います」
 これは、先程のような取引の握手では無い、あたたかい歓迎の掌。繋いだ手から伝わる京の優しさを感じながら、光希は日野川が紡いだ言葉の数々を脳内で反芻していく。

(僕達が力を持って生まれてきたのは、【略奪者】と戦う為。それは変わらない、変えられない事。でも…………)

 握った手に、無意識に力が篭もる。京だけがその事に気がついたが、そっと目を細めただけで、何も言わなかった。

──────────

 八つの瞳が、自分ただ一人に注がれている。光希は唾とともに緊張を飲み込むと、目の前に立っている四人の生徒たちを順々に見渡した。一番左に立っているのは、背が高く体格のいい男。鋭い目で無表情のまま、じっと光希を見つめている。威圧するような視線に、光希は思わず顔を引きつらせた。すると、その事に気がついた京が、さっと二人の間に割って入る。
「郁。光希くんが怖がってる。笑顔だよ、えがお」
 男に向かって、京が頬に指を当ててみせる。男は、その体格に似合わぬ可愛らしい仕草で京のポーズを真似すると、何度も頷いた。どうやら、この人は光希を見定めていた訳ではなく、元からこのような雰囲気の人物のようだった。
「俺は杜若郁。よろしく」
 郁は、頬に指を当てたまま小さな声で呟いた。笑顔になっているかと問われればNoと答えるしかないが、本人は頑張っているつもりなのだろう。どことなく満足気な顔をしているように見える。光希は郁に向かって笑ってみせると、隣の人物に視線を向けた。
「あ、貴方は……」
 そこには、永遠や京と同様に、いや、それ以上に見た事のある顔があった。学園のパンフレットの表紙を飾っていた天使のような顔の少年。これが初対面である事が、とても不思議だった。
 綺麗な顔の少年は、光希の反応を見ると、すぐにあざとく首を傾げ「ボクの事知ってるの?」と尋ねた。永遠と似たような問いかけではあったが、永遠の自然な反応とは異なり、彼の言葉には、全てが計算し尽くされたような、黄金比の愛らしさが含まれていた。
 これが魅せる、という事なのだろうか。光希は返事をするのも忘れ、ぼうっと彼に見入ってしまった。
「光希くん、だっけ? 大丈夫?」
「あっ、ご、ごめんなさい。あの、凄くキラキラしてて、綺麗だなって」
 この人たちは芸能人でもあったのだと改めて思い知らされる。光希の憧れの眼差しを受けた少年は、嬉しそうに顔をほころばせた。
「そうだよねぇ。あまりの可愛さに言葉も出せなくなっちゃうよね。ボクもたまに鏡の前で立ち止まっちゃうことある」
「へ? そ、そうですね?」
 思い描いていた返事と違う。いや、言っている事は全て正しいのだが、果たして、普通の人間はそれを自分で言う、のだろうか……。
「つーちゃんは、顔の事になると筋金入りのナルシストだからねー」
「俺様のオーラをものともしないのは、同居人だけだ」
 困惑している光希の後ろから、永遠と統也の解説が入る。二人から視線を向けられた少年は、昨日の表情とは打って変わって、自信に満ち溢れた笑顔を見せた。
「ボクは天曜翼。この学園で一番美しい人って覚えてね」
「よ、よろしくお願いします」
 またもや後ろから「変わってるよね」「時折何と返して良いのか分からなくなる」と二人の声が聞こえてくる。二人も大概だとは言えず、光希は曖昧に微笑んで次へ流す事にした。
 翼の隣に視線を転じると、そこには光希とあまり背丈の変わらない、色素の薄い小柄な少年がいた。彼も郁同様に無表情であったが、しっかりと見つめてくれていた郁とは違い、光希が視線を向けても、我関せずと言ったように涼やかに立っているだけだった。
「騎島光希です。よろしくお願いしま……」
「触らないで」
 握手をしようと差し出した手が、その言葉に遮断され、行き場を無くして宙をさ迷う。光希は少しの間驚いたように沈黙していたが、やがてそっと手を引いた。
「ご、ごめんなさい……」
「光希くんが謝る事じゃないよ。紫乃くん、後輩には優しくしようって言っただろ?」
「京先輩が勝手に言ってただけでしょ。僕は承諾したわけじゃないし」
 京の注意にも耳を貸さぬ少年は、まるで光希の姿勢を嘲笑うかのように、冷ややかな視線を光希に向けた。
「それに、皆、戦いで明日にでも死ぬかもしれないんだよ。……昨日だって、一人、死んでる。馴れ合う意味、あるの?」
「紫乃くん、そういう事は……」
「同感だな」
 京の声を遮り呟いたのは、右端の壁に寄りかかっていた前髪の長い少年だった。動画の中で、永遠に銃を向けていた少年だ。彼は、燃えるようなきつい視線で光希を捉えると、突如右腕を前に突き出した。
 次の瞬間、少年の手から赤い光のようなものが放たれる。
「危ないっ!」
 一瞬の出来事だった。わけも分からぬまま、光希は京に突き飛ばされ、床に強く身を打ち付けた。慌てて京の方を振り返ると、彼は何やら白い盾のような物で、少年から放たれた光──よく見ると、それは炎の塊だった──を防いでいる。
「命くん、何て、事を……!」
「反応が遅すぎる。そんなんじゃ戦地で一秒ももたねぇぞ。……先輩はさ、優しすぎるんスよ。あんたがそんなんだから、統也や翼みてぇな甘ったれたのが育つんだ」
「え……?」
 光希が顔を横に向けると、先程まで楽しそうにしていた統也と翼が、傷口を抉られたかのように悔しげに顔を伏せていた。光希の胸も、二人の表情に共鳴してキュッと苦しくなる。
「そこのガキも、どうせ夢だの希望だのを追いかけて来たってクチなんだろ。気に食わねぇんだよ、そのキラキラした顔がよ。……おい永遠、お前まだ体調万全じゃねぇだろ。部屋戻んぞ」
 少年は、くいっと指を動かして、永遠を呼んだ。永遠は、光希たちと少年を見比べていたが、やがて観念したように困り笑いの表情を見せると、少年に近づいて行った。
「おっかしいな。ごめんねひかりん、皆普段はもっと仲良しなんだけどさ、やっぱ、昨日戦いがあったからかな、皆結構、参っちゃってる、みたい……」
 明るくおどけたような口調は、段々としりごんで行く。永遠は、三角巾で吊るされた自らの片腕を見ると、はぁ、と小さくため息をついた。
「ごめん。僕があの時逃げなかったせいだよね。僕が捕まっちゃわなかったら、きょーちゃん不安にさせることも、つーちゃんに仲間を撃たせるような指示を出すことも、みこにその代わりをさせる事も、無かった」
 その声から、痛いほどにやるせなさが伝わってきた。画面の向こうの光景を思い出し、光希は何も言えずに永遠を見つめていた。
 やがて、永遠と命と呼ばれた少年は、時が止まったような部屋をゆっくりと横切って、扉から外へと出ていった。それに続くように「紹介はこれで終わったよね。僕も失礼します」と紫乃と呼ばれていた少年も外へと歩んで行く。辺りには、静寂が漂った。
 五人の少年たちが残された部屋で、一番最初に動き出したのは郁だった。彼は、唇を噛み何かに耐えている様子の京と、震えている光希に近寄ると、そっと呟いた。
「笑顔、忘れてるぞ」
 その優しい声に、二人同時にハッと顔を上げる。二人だけではない。統也と翼も、驚いたように彼を見つめていた。
「俺は、仲良くしたいと思うよ。お前とも、皆とも」
 今度の笑顔は本物だと、確信を持って言えるような、そんな顔で、郁はそっと光希の頭を撫でた。
「お前にも、夢があるんだろ」
 光希は、無言で頷く。堪えようと思っていたのに、耐えようと決めたのに、その目からはほたりほたりと涙が伝っていった。
「大丈夫。目指す先は皆同じだ。命はあんな風に言ったが、俺は、夢を持つことは明日を生きる為の原動力になると思う。未来を諦めなければ、きっと上手く行く筈だ」
 じんわりと伝わる言葉。光希は、とめどなく溢れる涙を両手で拭いながら、無我夢中で頷いた。すると、周囲からそっと手が差し伸べられる。
「郁の言う通りだ。僕が言わなきゃいけないことだった、ありがとう」
 京は郁と視線を交わすと、翼たちの方にも視線を向けた。
「君たちも、手伝ってくれるかな。ここから、新しいspiritoを作っていきたいんだ」
「仕方ないな。恐れ知らずにも俺様に命令する者等、お前くらいだぞ」
「光希くんみたいな可愛い子を泣かせた命くん達には、一度言ってやらないと。……あ、もちろん可愛いのはボクの次にだけど」
「はは、散々な言われようだったのに、君たちはブレないなぁ」
 京はからかうように笑った後、ふっと柔らかく微笑んで光希を支える様に抱き起こした。
「僕たちは、去年結成されたばかりの、まだまだ未熟なチームなんだ。でも、少なくともここにいる四人は、君の事を歓迎してる。それから……きっと、永遠くんも」
 三人が出ていった扉を振り返りながら、京は続けた。
「だから、これから僕らと一緒に、歩んでいってくれないかな」
 その問いかけに、光希は涙を堪え、精一杯の笑顔で答えた。足並みの揃わないチーム、不安と知らない事だらけの学園生活、恐ろしい敵の姿。状況はまるで絶望的。それでも、自分のやるべき事は、はっきりと見えていた。

(僕達が力を持って生まれてきたのは、【略奪者】と戦う為。それは変わらない、変えられない事)

 その続きは、こうだ。

(……でも僕は、その先の光を掴みたい。役目を果たした先にある、目指した未来を見るために、戦うんだ。僕は、この人達と、歩みたい)

 それが、騎島光希の『覚悟』

──────────

 真夜中の校舎。閉じられている筈の学園の門が、ギィィと不気味な音を立てて開いていく。
「あーあ、電車に乗り間違えちゃって、こんな時間になっちゃった」
 くるりと巻かれたポニーテールが、そよ風に揺れている。目を瞬かせながら校舎を見渡した彼女は、嬉しそうに口角を引き上げた。
「で・も~、ここの特別講師になれるんだから、多少のアンラッキーは水に流しましょ。はぁん、素敵なオーラの匂いがするわぁ~!この道も、あの扉も、そこのベンチにも、ショタの痕跡が残ってるってことでしょ? え、待って、最高か? これから毎日美少年に囲まれて、最強ライフを送れるって事なのか??」
 気持ちが悪い程に声を高ぶらせ、彼女はひとしきり騒ぎ立てる。だが、門の外の道路を車が走り抜けて行った音で、我に返ったようだ。「いけないいけない、私ったら」と自らを戒めるように呟くと、彼女は荷物を抱えて学園の中に一歩足を踏み入れた。
「イケショタくん達に会えるのもそりゃあ楽しみだけど、『本当の目的』も忘れちゃダメよ、理沙子」
 夜の闇の中で、彼女の桃色の双眼だけが怪しく光っていた。

bottom of page