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第20楽章『再演の始まり』

 統也の中にいた、特例の【略奪者】の存在。spiritoのメンバーにのみ告げられたその話は、杜若 郁を悩ませていた。統也から話を聞いた京は、あろう事か、自身の力の変化──学園の制御が効かなくなっていることについて、彼らに共有を始めたのだった。以前までの郁ならば、何でも一人で抱え込もうとする京が、仲間を頼る行動をとったならば、それを心から喜んだだろう。けれど今は、事情が違った。新しく入手した統也の情報、そして、京の秘密が拡大されたこと、それらを日野川に報告すべきか否か。郁は窮地に立たされていた。

(日野川先生のことを、このまま信用してしまって良いのだろうか。あぁ、俺も今すぐ京に、皆に、この事を話してしまいたい。でも──)

 仮に日野川が自分を利用していたとして、彼との関係性が明るみに出てしまったら、そのせいで皆を危険な状況に巻き込んでしまうこともあるかもしれない。何も分からないこの状況で、今全てを判断するのは危険だった。じっと黙りこくった郁の隣で、談話室の暖かい照明を纏った京が、重々しく口を開く。
「僕達は、この力についても、敵についても、本当に何も知らないんだね」
 【声の能力】とは何なのか。【略奪者】はどこからやって来たのか。その根本的な事実は、厚いヴェールに多い隠されたままだ。
「僕のような例が、統也くんのような例が、かつて存在したのかどうかは分からないけれど……」
 京はグッと拳を握りしめて、自身の足を睨みつけた。
「このまま学園に従っていたら、無事では済まないような気がする」
 低く呟いた京の言葉に、空気がどよめき、揺れ動く。京とは真反対の椅子に腰掛けていた命が、眉をひそめて小さく舌打ちをした。
「先輩も統也も、隠した方がいいっすよ。学園は信用出来ねえ。……難しいことは分かんねぇけど、最悪、逃げた方がいいかもな」
 自分に言い聞かせるように、ぽつりと零された解決策、全員が命を見つめた。それはいつかどこかで、それぞれが感じていたこと。張り巡らされた権力と隔絶された情報、無知の恐ろしさに雁字搦めにされて、今まで誰も言葉にする者は居なかったけれど、命はその暗黙の了解を軽々と飛び越えてしまった。案の定、提案は永遠によってすぐに否定された。
「でも、無理だよ。きょーちゃんは別だけど、僕らは学園に管理されてるし、万が一逃げられても、皆の記憶がなくなっちゃったら、意味が無いよ」
「そんなの、やってみねーと分かんねぇだろうが」
「やってみないとって……まだ計画を立てる所にすら到達してないからね!? 偉そうに言うんなら、案の一つでも出してみなよ」
 シリアスな空気を一瞬で打ち砕いた永遠の撃墜に、命はうっと声を詰まらせて押し黙った。やはりそこまでは頭が回っていなかったようで、束の間、呆れたような気の抜けた空気が談話室を覆った。
「ふふ、命くんらしいね」
「おい、それバカにしてんのか」
 口元を覆って肩を揺らす翼を見て、命は悔しそうに歯を噛み締める。翼は涙を浮かべながら何とか笑いを押し殺すと、手を振って命の問いを打ち消した。
「違うよ。むしろありがたい。命くんが何も言ってくれなかったら、計画を立てる事にすら進めないから」
「そうですね。僕も、命さんに賛成です。皆がどうなってしまうか分からない場所に、閉じ込められたままなんて、良くないです。どうすれば良いかは、逃げた後でも考えられますし」
 そこで口を開いたのは、光希だった。のんびりとした口調で、無鉄砲な考えに聞こえるものの、ある種の確信をついた答えに、命は初めて、光希に向かって感心の表情を見せた。
「お前、ただのぬくぬくお坊ちゃんって訳でも無さそうだな」
「え? えっと……」
「みこにしては褒めてんだよ」
「えへへ、ありがとうございます」
「はァ? 別に褒めてねぇよ!」
 ニヤリと笑って光希に耳打ちする永遠。素直な礼と共ににっこりと可愛らしい笑顔を見せた光希に、命は動揺して強い言葉を放った。しかし、それは彼が光希に出会ったばかりの頃のような、「正義面のいい子ちゃん」を寄せ付けない為の態度ではなく、純粋に、この後輩に対してどう接したら良いか分からず戸惑っているだけであることを、永遠は瞬時に見抜く。
「ひかりんが可愛くていい子だってこと、ようやくみこも気づいたみたいです」
「誰もそんなこと言ってねぇっての!」
 先程まで重大な話をしていたとはとても思えない、いつもの喧騒に苦笑いをして、けれどひどく安心したように、京は全てを静観していた郁を振り返った。
「郁は、どう思った? 逃げてもいいって、思った?」
 嫌なら嫌と言っていいんだよ、と、優しい彼は付け加える。郁はまだ迷っていた。あの時、日野川の哀れむような視線に釣られなければ良かったと、後悔もした。ここまでやってきて尚、郁には何が正解なのか分からなかった。けれど、親友にそう問われた時、郁の中で何かが弾けた。
「ここから逃げよう。皆で、一人残らず」
 口に出して、もう後戻りは出来ないと悟る。でも、それで良かった。京と皆と歩む道が、シナリオには無かった新たなページを創る事が、不正解だなんて有り得ない。まっすぐ見据えた目線の先で、見慣れた顔が、幸せそうに綻んだ。

──────────

「やっと、入れたわ」
 埃っぽく、どこまでも暗い部屋の中で、理沙子は満足気に息を吐いた。少年たちが表舞台で成長していった数ヶ月間で、彼女もまた、ひとつ大きな事を成し遂げていたのだ。月夜を含む内部講師しか出入りを許されない筈の部屋の中に、今彼女は立っている。
「でも、喜びにひたっている場合じゃないわ。誰かが来る前に早く探さなきゃ。──あの子が死んだ、本当の理由を」
 憎しみを込めて呟く。本当なら、あの子は誰よりもかっこいいアイドルになって、皆の希望になるはずだった。本当なら、あの子は今でもずっと理沙子の傍に居るはずだった。本当なら、あの子は今年大人になって、理沙子に晴れ姿を見せてくれる筈だった。それなのに。

「何で、死んじゃったのよ……」

 はるか昔に、骨さえ残らず『事故』で死んだ彼女の弟。理沙子とは六つ歳が離れていて、家族の中で誰とも似ていなかった。代々桃色の瞳を持つ理沙子の家系で、唯一、黄金の綺麗な瞳を持って生まれたあの子。幼い頃から勇敢で賢くて、一人きりでも生きていけるような子だったけれど、夜は理沙子の歌う子守唄を聞かなければ、絶対に眠れなかった。そんな子が、たった一人で寄宿舎生活をする事すら、心配で仕方なかったというのに。
「今の皆みたいに、あの子もずっと、一人で戦って来たのかしら。……せめて、苦しまずに死ねていたら」
 【声の能力】は望んで持つものでは無い。嫌がる子供たちの閉ざされた心を無理やりこじ開けて、押し込むような形で、ある日突然現れる。ただ持っているだけでも辛いのに、それを武器のように扱われ、酷使され、挙句の果てに殺される。けれど、彼等の犠牲が無ければ、世界はとうの昔に【略奪者】に滅ぼされていただろう。十二年前に突如現れ、来た時と同じようにあっけなく終局した異常現象。メディアはそう言って面白可笑しく昔話を語る。でもそれは、人類が安穏と暮らせるこの世界は、他ならぬ【救世主】たちの犠牲によって成り立っているのだ。
 弟のデータを探しながら、世界のシステムについて調べていくうちに、理沙子の胸の内にもうひとつの願いが実り始めた。それは──
「あの子たちを助けたい。犠牲になる子供たちが一人もいない世界を、見せてあげたい」
 もちろん、彼にも見せてあげたかった。今まで辛かったねと抱きしめて、それから、辛かった分うんと楽しいことをして……。でも、そんな夢はもう叶わない。過去は変えられない。だからこそ、今囚われている少年たちだけでも、助けてあげたかった。
 現状、内部に染っていない人間の中で、世界の仕組みを知る人間は理沙子ただ一人だ。自分が目をつけられてしまっては、何も出来やしない。弟のデータはまだ見つけられていなかったが、人に見つかるリスクを考えれば、長居も出来ない。
 理沙子はそっとため息をつくと、静かに部屋を後にした。
「絶対、見つけるからね、響希ちゃん」
 大好きな、あの子の名前を呟いて。

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