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​第11楽章「共犯」

「つまりなんだ、あの野郎、【略奪者】に取り込まれてまでお前を追って来たってのか?」
 壁にもたれ掛かり、腕を組みながら、命が言う。馬鹿のくせにやたらと話の呑み込みが早い彼は、地面を睨みつけて舌打ちをした。
「気持ち悪ぃ。でもまぁ、これでようやくカタがついたな」
 命は黙ったままの永遠の頭をぐしゃぐしゃ撫でると、心底嬉しそうに口をゆがめた。
「大丈夫。ちゃんと罪は半分ずつだ。……早紀も含めるなら三分の一だけど」
「それはだめ」
「……そうだったな」
 二人で協力して一人を殺したんだから、罪は分け合って半身ずつ。つまり、自分たちはまだ殺人を犯していない、というのが、当時の命のめちゃくちゃな理屈だった。何も大丈夫では無いのだが、例の事件は事故として処理され、結果として『菜の花子ども園』の施設長達の虐待と職務怠慢も明らかになった。避難していた子ども達は、それぞれ優良な施設へと引き取られ、きちんとした暮らしを送れていると聞いていた。ただ、早紀の行方だけは、どんなに調べても分からず終い。それはそのはずで、里親に引き取られた時既に苗字が変わっているのだから、小さな子供二人の力では調べようもなかったのだ。
 でもきっと、あの優しい女の人の家なら、幸せに暮らしているはずだ。あの子が、暗い記憶を全部忘れて、心優しい女の子として、友達を作って恋をして、愛に溢れた生活ができていたなら、それでいい。だから、早紀の分の罪は最初から用意していなかった。そして、命の分も。
「みこ、半分じゃないよ。最初から」
「は?」
「ずっと僕一人だよ。最終的にやったのは、僕だけ」
「何言ってんだよ、バカ。オレが燃やしたの見てただろ」
「ちーがーうーの! 分からない? みこ、あんなに力暴走すること無かったじゃん。ずっと上手く隠してた。みこだけの力なら、あの時も上手くやってた。きっと、楽しそうに、復讐なんてしなかったでしょ。でもそうじゃなかった。みこ人が変わったみたいだった。……僕がみこを操ったせいだよ」
 今までずっと、命の正義感に甘えていたけれど、魂と肉体、二度も彼を殺めた罪を、命と分け合うのはもう我慢ならなかった。本来時雨命とは、情に深いあたたかな人間だった。好き嫌いに関わらず、守ると決めたものの為なら、自分を犠牲にすることも厭わない。愛をもってして人を選別する永遠には、とても理解の出来ない人間性だ。そんな優しい人間が、いたずらに罪を押し付けられるのは、例え本人が望んでいたとしても、永遠が許さなかった。早紀を助けたいと思ったように、いつの間にか好きになってしまった命の事も、わがままな業から切り離したかった。
「だから、もう死にそうになるまで戦おうとしなくていいし、償わなきゃとか考えなくても良いんだよ。今まで一緒に持ってくれてありがとね」
 この後のことを、永遠は考えていない。命から罪を取り払ったところで、二人の関係は変わらないし、命のことだからきっと、永遠の決断を罵り否定し続けるのだろう。ほら、もうこうして腕を掴まれた。
「一人でべらべら喋って承諾させた気になってんじゃねぇよ」
 彼が怒っている姿は数多見れど、こんな奇妙な怒りは見たことが無かった。腕をこちらに引き寄せる衝動で、隠れた右目の傷がはっきりと見えた。
「オレはお前に操られた覚えはねぇ。力を使いこなした気になんなよ」
「でも、じゃなきゃあんな」
「お前は、誰かに操られたから早紀を助けたのかよ?」
 不意に空いていた箇所を付かれ、永遠は狼狽える。早紀を助けた理由なんて、そんなの一つに決まっている。
「違うよ、早紀ちゃんが好きだったからだよ!傷ついて欲しくなかったから。そんなの当たり前じゃん。みこはそんな事も分かんないくらい察しの悪いバカなの?」
「はァ?バカはお前だろ。そう答えられるのに、なんでオレの気持ちは分からねぇの」
 強く怒鳴られ、永遠は困惑する。力がかかっていない、なんてそんな。だってあんなに小さな子どもが、自分の意思で人を助けるために大人に歯向かうことなんて、出来るわけが無い。言葉が出ず息を飲んだ永遠を見て、命は形勢逆転とばかりに口を開く。
「オレも最初は操られてると思ってたよ。でもそれは有り得ない。絶対に有り得ないんだ。お前のあの力は、かけられた対象は願いの内容を記憶することは無いそうだ。操られたことにすら気づかない。……学園長がそう言ったんだから、間違いない」

『おや、あなたはあの時の事を覚えているのですね? それならば、あなたに対して彼は【声の能力】を行使しなかったのでしょう』

 興味深い、と溜息を吐いたヴェールの女は、そのまま口の端を吊り上げて微笑むと、何も言わずに命の横を通り過ぎていった。あの時の衝撃は、今でもずっと脳裏に焼き付いている。思いなんて不確かなものだけで、自分は彼の為にここまで動くことが出来たんだと、意図せず証明させられてしまった。
「オレを動かしたのは、お前の思いだよ。早紀を助ける為がむしゃらに動くお前に惹かれたからだよ」
 命は、静かに永遠の腕を離した。けれど、永遠は逃げ出そうとはしなかった。
「ついでに言うと、最初にお前が力を使ったのは、あの男の前だよ。早紀に話しかけた時じゃない」
「え……?」
「早紀は、お前に『教えて』って言われたことを、ちゃんと覚えていた」

『永遠くんが優しくて、優しい声で教えてって言ってくれたから。私、話す勇気が湧いてきたの』

 そっと耳打ちをした早紀の声を、命だけが知っている。誰も気がつけなかった真実。幸か不幸か、力が覚醒したのは、あの時ではなかった。永遠はずっと、大きな勘違いをしていた。
「お前が施設で力を使ったのは、あいつの前で暴走した時と、早紀の記憶を消した時の二回だけだ。……早紀とオレを動かしたのは、間違いなくお前自身の心だったよ」
「僕自身の……?」
 地面の一点を見つめたまま、永遠はぽつりと口に出す。そんなの、まるで奇跡みたいだと思った。言い換えれば、心から願った事に限って力が発動しなかっただなんて、とても皮肉な話だけれど。
「そっかぁ、僕達三人とも、相思相愛だったんだねぇ」
「当たり前だろ」
「じゃ、これからも一緒に償い、よろしくね」
「おぅ、それでいい」
 流れで握手をしてみるものの、なんだか照れくさくてすぐに手を離す。それを誤魔化すように、永遠はからかい口調で口を開いた。
「でも、さっきのみこの言い方じゃ、やっぱりおかしいよ。僕が早紀ちゃんを助けた理由と同じってことでしょ? それじゃまるで、みこが僕のこと、恋愛対象として好きだって言ってるみたいじゃん」
 ニュアンスで受け取り方も変わってくるんだから、そういう所きちんとしてよね。そう言って命の背中を叩いた永遠は、そこでハッとして手を止めた。さっきまで威勢よく怒鳴り散らしていた命が、俯いて口元に手を当てている。
「みこ……? え、え……?」
「帰るか」
 顔をあげた命は、笑顔でも憤った顔でもない、ただただ平面な真顔だけを浮かべると、永遠の返事も待たずにすたすたと歩いていく。
「まじかぁ……」
 分かりやす過ぎる程動揺し、挙動不審になった背中を見送りながら、永遠は苦笑して腕を組んだ。
「どうしようかなぁ。僕はまだ早紀ちゃんが好きだし、早紀ちゃんじゃなくても、女の子が好きだし……どうすりゃいんだよ、つら」
 辛いとは言いつつも、口の端はにまにまと引き上がる。兄弟のように片時も離れずにいた共犯者から、好きだと言われて嬉しくないはずがない。
「あ、でもあれかな、吊り橋効果? ね、しののはどう思う」
「急に何」
 通りがかりに運悪く捕まってしまった紫乃は、彼お得意の、眉間に皺を寄せた軽蔑の表情を作って、冷たく言い放った。
「いや、愛の力は偉大だなーって思ってさ」
「話が通じない……」
 絶望的な顔でそう零した紫乃の事など、その時の永遠の耳には既に入っていないようだった。呆気に取られる紫乃をひとり残して、永遠はぴょこんと髪の毛を揺らし、命が辿って行った道へと足を踏み出した。

 


「愛なんて、馬鹿みたい」
 ため息を吐きながら、紫乃は一人愚痴る。独りよがりの愛情の押しつけが、人間を傷つける事だって沢山あるだろうに。
「冒険みたいな人生を送ってきた人には、わかんないか」
 ただ一人、無機質な空間に身を置いて、何年も何年も、変わらぬ日々を過ごすことの苦痛が。
 純粋な優しさは、時に心臓を貫く剣にもなり得る事を、紫乃以外誰も知らない。

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