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​第9楽章「日常に潜む記憶」

 時雨命について、いつから彼を認識していたのかと問われても、具体的に思い出すことは出来ないだろう。永遠がこの世に生まれついた時から、彼は大勢の孤児達と共に永遠の傍に居た。一緒に遊んだり、遊ばなかったり。話をしたり、しなかったり。児童養護施設という名の小さな空間であっても、子供たちによる関係のネットワークはしっかりと網目を張っており、その網目に沿って見るならば、永遠と命はさして仲が良いと言うわけではなかった。もちろん、だからと言って特別仲が悪いわけでも無い。不遇な環境を共にする、しかし互いの内面には深く触れ合わない、表面的な『友達同士』。

 あの日を境に全てが呑み込まれるまで、永遠は、あの荒々しい少年の事を、そんなふうに捉えていた。

──────────

 永遠は自身が思うより魅力的な顔立ちをしている。翼に言わせれば「勿体な」く、統也に言わせれば「花のよう」で、紫乃からの評価は「残念美人」と言ったような評価だ。だが、永遠は武器とも成り得るこの容姿のことを、わざと劣るように見せている節があった。口調から、性格から、コミカルな自分を引き出し、『黙っていれば可愛い』を、決して黙らないことでなし崩しにしてしまうような。彼は、触れたくない物を開示してみせることで、内側に潜む捻れた力を制御していた。

 だって、気を抜いていたら皆永遠に惹かれてしまうから。

 その力は、詳細を聞けば夢のようで、多くの人が望んでいる力なのかもしれない。けれど永遠は、この力のせいで苦々しい過去を背負うことになってしまった。だから、へらへらと笑う。軽く受け流す。細心の注意をはらいながらふざけ倒す。
「永遠くん、今日のステージもすっごくかっこよかった!」
「うんうん、先週の舞台公演も素敵だったし、ますます好きになっちゃったよ~」
 ぎゅっと手を組んで、熱っぽく微笑む少女達が数人、いつものように永遠を取り囲む。その一人一人に、にっこり笑って返事をしながら、永遠はちらりと彼女達の向こう側に視線を転じた。自動ドアで分かたれた先、控え室の前に、鋭い眼差しを持つ白髪の少年が立っていた。少年は、永遠と目が合うと、一瞬だけ軽蔑するかのように目を細め、そして何も言わずに扉の中へと消えていく。
「……しののは、ライブの後誰とも会わずにすぐ帰っちゃうよね」
 ぽつりと呟いた小さな声は、少女達にもしっかり聞こえてたらしい。彼女等は頬を膨らませると、永遠の袖を引っ張る。
「他の子のことはいいじゃん。私たち、永遠担なんだからね」
「そうだ、永遠くんに渡す為に、一緒にお菓子作ってきたんだよ!」
 一際声の大きな少女は、そう言うと隅の方で恥ずかしそうに頬を赤らめている小柄な少女を急かす。
「ね、サキ、早く出しなよ」
「う、うん」
 少女がサキと呼ばれた瞬間、永遠は思わず動きを止めて少女をまじまじと見つめた。見つめられた少女は、クッキーの包みを持ったままあたふたと目を泳がせる。
「えっと……私の顔に、何かついて、ますか……?」
「『菜の花子ども園』」
「ふえ?」
 驚く少女の肩を掴んで、永遠は何かにせっつかれたように勢いよく口を開く。
「君、昔施設で暮らしていたこと無かった!?」
「えと、私、生まれた時からずっと両親と三人暮らしですけど……」
 困惑を通り越して、少女は怯えているようだった。少しずつ後ずさる足が目に入り、永遠は慌ててその手を離す。少女の目が、かつての自分と重なった。この子を怖がらせては駄目だと瞬時に悟る。永遠は、何事も無かったかのようにヘラヘラとした笑顔を作ると、少女に向かって手を合わせた。
「ごめんごめん、やっぱ何でもないや。僕の勘違いだったみたい」
「なら、良かったです」
「永遠くーん! 早く受け取ってよ~」
 気の強い少女が、サキと呼ばれた少女から包みを取り上げ、永遠に渡す。何となくだが、その少女は、サキの手から永遠にプレゼントが渡ることを、許容していないように見えた。
(こういう子って、性格悪いんだっけな……)
 にっこりとわざとらしく笑う唇には、よく見るとラメの入ったリップグロスが引かれていた。その不自然な艶を見ながら、ああ、これはあまり好きではないと、直感的に思う。この手の笑顔は、ずっと以前にも見たことがあった。もっとも、それは男であったが……。永遠は、記憶の引力に絡まれた腕を必死で解くと、少女達に向かって屈託なく頷いた。
「皆、ありがとう。大事に食べるね」
「うん、次のライブの後に感想聞かせてね」
「え、次も来てくれるの!?」
 わざとらしく、少女の手を取って嬉しがってみせる。彼女等は、果たしてその駆け引きに気がついているのかいないのか。どちらにせよ、いとも容易くきゃあきゃあと騒げる少女達を、永遠は心底愛しいと思う。きっとこの中には確かなヒエラルキーが存在していて、例えば気の強い少女よりもサキの方が弱い立場にいることは明白だったけれど、そんな内輪の実情を伏せおいて、永遠の前ではただ等しく可愛くあれる彼女達だからこそ、永遠は純粋な気持ちでファンを好きでいられるのだ。
「じゃあ、僕そろそろ行くね。皆にまた会えるの、楽しみにしてるから」
 平等にそう声をかければ、十人十色に変わった反応を見せてくれる少女たち。こんな風に、分かりやすく愛らしいのが一番いいんだと、自らの心に言い聞かせながら、永遠はくるりと踵を返し、自動ドアをくぐり抜けた。
 そうだ、重たく締め付けるような愛なんて、そんなものに愛される事なんて、汚らわしくて嫌な事なんだ。誰かを好きでいるって言うのは本来、先程の彼女たちのように軽やかで、ある程度の違和感なら笑って許せてしまうような、責任を負わない楽なものであるべきなのだ。それなのに、不可解な力に囚われたままの僕は、そんな簡単な事にすら不自由に足掻きまわって抵抗する事しか出来ない。
 四月、礼拝堂にこだまする京の懺悔を聞いた。たまたま扉が少しだけ開いていて、興味本位から顔を近づけた永遠は、あの笑顔の裏側の苦悩を知ってしまった。勿論、その事は京にも郁にも言わなかったけれど。
 五月、揺れる翼の心の内をさらけ出させた。あの可愛い顔が歪むほど、彼の中で家族の記憶は綺麗な毒となっていた。
 でも、二人とも、最終的には自分の力でその生きづらさを塗り替えた。環境に流され、その末に辿り着いたこの場所で、そうやって生きていく重みを、永遠はどこか他人事のように、けれど心底羨ましく見ていた。

(僕には、ああいう生き方は、多分、一生無理だ)

 代わり映えのしない無機質な扉が立ち並ぶ廊下を歩きながら、永遠はふっとそう思う。生きていくことにそこまでの執着は無い。永遠自身の心だけに忠実に生きて良いのなら、きっと戦いの中で死んでしまったとしても、大した未練は残らないかもしれない。けれど、永遠には生きなければならない理由があった。永遠は、京や翼のように、不可抗力でここへやってきたのでは無い。自ら、彼と共に切り開いた道の代償として、ここに来ることを選んだのだ。犠牲にしたものを踏み越えて、戦うことで自己満足の贖いをして、まっさらになれたなら、自由を手に入れて今度こそ命の手を引いて逃げ出そう。逃げ出して、そして、あの子に逢いに行くんだ。
「早紀ちゃん……」
 その名前を口に出すのは久しぶりだ。ひどく懐かしくて、愛しい名前。先にあの場所を出ていった彼女は、優しそうな女性に手を引かれながらも、仕切りに永遠と命を振り返り、心配そうな顔で何度も「ごめんね」と言った。助けてくれたのに、約束、守れなくてごめんね、と。代わってくれてありがとう、とも言っていた気がする。
「そんなの、気にしなくてよかったのにね」
 『約束』も『代わってあげた』ことも、全部永遠がやりたくてやった事で、命が進んで協力してくれたことだ。彼女が引け目を感じる必要など何処にも無い。永遠は、ずるずると後ろ向きに流れていく思考を戻すかのように、二~三度軽く頬を叩くと、大股で歩き出した。と、廊下の向こうから見慣れた黒髪の青年が姿を現した。
「あれっ、ひびっきーだ! 何してんのー?」
「……『先生』」
「せ、ん、せ、え! 何してんの?」
 学園にいる時のようにあだ名で呼ばれた日野川は、不服そうに眉をひそめると、短く指摘した。永遠はわざとらしく言葉を区切って訂正すると、日野川に近寄っていく。
「全く。学園の中なら良いけど、外では僕は君達の保護者でもあるんだからね。きちんと呼んでくれないと困る」
「保護者って……どう見ても同い歳くらいにしか見えないじゃん。むしろきょーちゃんやいくたんの方が歳上に見えるよ」
 あっけらかんと言い放った永遠に、日野川はうっと言葉を詰まらせると、静かに目を逸らした。
「あ、気にしてたの」
「……良いから早く控え室に戻る!」
 強い語気で言われ、永遠は肩を竦めながら歩みを進める。この人も、昔はステージの上で笑顔を振りまいていたのかと考えると、どうにも可笑しい。
「ひびっきーはさ」
「何、まだ居たの?」
 曲がり角からひょっこりと顔を出すと、日野川は手に持っていた帳面から顔を上げて、眉間に皺を寄せた。それでもきちんと永遠の話を聞こうとしてくれている辺り、根は優しい人なのかもしれない。
「あのさ、ひびっきーは、昔僕らと同じだったんだよね」
「同じって?」
「アイドル、やってたんだよね」
「……まあね」
 やけに歯切れの悪い返事だった。先程の身長の話題でもそうだったが、普段は嫌になる程饒舌な日野川は、自分自身の話になると酷く億劫そうな態度を示す。講師としてプライベートについては深く話すなと言われているのか、はたまた話したくない理由でもあるのか、永遠には分からなかったが、何となく、日野川は俗に言う優等生では無かったんだろうなと察した。残念だが、これ以上面白い話は聞き出せそうにもない。永遠は諦めて日野川に手を振ると、元来た道を戻ろうとした。
 その時だった。少女達の悲鳴が、二人の耳をつんざくように響いた。永遠と日野川は顔を見合わせると、声を出す間もなく建物の外に飛び出した。
「君たち、大丈夫!?」
「あ、永遠くん、ば、化け物が」
 先程サキと呼ばれていた少女が、カタカタと震えながら真っ直ぐに前を指さす。そこには、無数の足が生えたボールのように丸い体と、判別もつかないほど酷く焼け爛れた顔を持つ【略奪者】の姿があった。
「これはまた、一段と気味が悪いな」
 唖然として目を見開く永遠の横で、日野川は冷静にそう呟くと、サキを含む少女達を、手早く建物の中へ誘導した。その間【略奪者】と永遠は見つめあったまま、両者とも動かなかった。もっとも、【略奪者】の顔は皮膚が爛れてぐちゃぐちゃで、目がどこにあるのかすらもよく分からなかったけれど。
「永遠くん! 何してるの、早く戦いの準備を!」
「……あ、わ、分かった!」
 誘導を終えた日野川にせっつかれ、永遠はステージ衣装のジャケットの内側から、小型のナイフを取り出した。今のケースのように、突如敵が現れた時でも戦えるよう、永遠達【救世主】の着る衣服は、制服だけでなく、ライブで着用する衣装にも細工が仕込まれていた。
「今のところ、奴は動かないみたいだけど、近づいたら何をされるか分からない。できるだけ慎重にね」
「了解」
 永遠が真剣な顔で頷くと、日野川は一瞬口元に笑みを浮かべた。しかし、永遠があっと思ったその時にはもう、彼の顔は凛々しい表情に戻っていた。
「……皆が来るまで、少し時間がかかりそうだね。今日は僕も一緒に戦うよ」
「ひびっきー戦えんの!?」
「君の大先輩だからね。一期生の実力、舐めてもらっちゃ困るよ」
「でも、十六歳をすぎたら【声の能力】が……」
 永遠達がウォークスと呼んでいる異能は、六~八歳から出現し、十六歳になると消えてしまう、不思議な力だ。それ故、既に成人が近い日野川は、いくら卒業生とはいえ、戦いにおいて重要な戦力となる異能は使えない。心配した永遠がそう伝えようとすると、日野川は困ったように頬をかいて「必要ない」と呟いた。
「極限まで弱らせるだけなら、充分事足りるから」
 そう言うと、日野川は永遠が何か言いかけるより先に、素早く敵の傍に移動した。後ろから見ているだけでは、何が起こっているのか分からない。時間にして凡そ二十秒ほどだろうか、永遠が呆気に取られて動けずにいるうちに、日野川は【略奪者】を極限まで追い詰めた。立ち止まっていた【略奪者】からバラバラと足が落ちてゆき、ぐらりと体が傾いてゆく。
「永遠くん、今」
「うん……!」
 スローモーションのようにゆっくりと倒れてゆく【略奪者】に近づくと、永遠は凪いだ水面のように神経を研ぎ澄ます。

【声の能力──アイネクライネナハトムジーク】

 そうして現れたのは、小さな静寂と夜の箱庭。永遠と倒れゆく肉塊だけのセカイ。甘い花の香りが漂っている。永遠に全ての権力が集中した空間。
「ごめんね、お前、多分消えた方がいい」
 永遠が声を発する度に、連続して波紋のような輪が描かれ、化け物の頭にぶつかっては溶けていった。残った二本の足で必死に体を支えていた【略奪者】は、声の持つ性質に共鳴してバランスを崩し始める。消えた方がいい、と言う言葉に、痺れた体は残るべきか朽ちるべきか迷っているようだった。永遠は、唇を噛み締めて最期の言葉を口にする。
「……消えて」
『……助けて』
 永遠が言葉を放った瞬間、低い男の声で、【略奪者】がそう呻いた。その声を聞いた瞬間、永遠の背筋がぞわりと逆立ち、【略奪者】は眩い光を放ちながら弾け飛んだ。


「永遠くん!」
 光に目が眩み、その場に倒れ込んだ永遠を、日野川が支える。目の前には、すっかり元に戻った何も無い空間が広がっているばかりだった。
「あいつだ」
「え?」
「僕を追ってきてたのかな、今、あいつの声がした」
 首を傾げる日野川を、永遠はゆっくりと、真顔で振り返った。その目には、ギラギラと好戦的な光が宿っている。
「二回も殺しちゃった」
 普段のおちゃらけた彼からは想像もつかないほど、低く冷静な声で、永遠は続けた。
「僕みこと話がしたい。これからの方針を、決め直さなきゃ」

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