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​小休止1「夜天に煌めく花」

 その日は、実に三日ぶりの晴天だった。土砂降り続きで鬱々としていた生徒達の心も、青く広い空のように晴れやかに……とまではならなかったが、少なくとも、湿っぽい空気から解放された清々しさのようなものはあった。窓の外いっぱいに広がる透き通った景色を目に入れるや否や、統也はきりりとした眼光で空を睨む。
「む! 陽光の力が強い……今宵は我が闇夜が日に勝る最大の時となるだろう!」
「……なんて言ってるの?」
「今夜は星が良く見えそうだなって言ってます」
「通訳もサマになったもんだな。オレ達には何言ってんのかさっぱり分かんね」
 窓辺に並んで空を見上げている彼の後ろから、三つの声が飛んでくる。振り返ると、困ったように首を傾げる京、得意げに笑う翼、呆れた顔でため息をつく命の三人が揃っていた。統也にとってはちょうどいい下僕たちである。統也は口を大きく開けて三人を呼ぶと、窓の前に一列に並ばせた。
「確かに、よく晴れてるね。昨日までとは大違い。湿気が多いと髪がまとまらなくて困るんだ。助かったよ」
 そう言うと、京は癖のあるふわりとした髪を撫でつけた。統也の視線が、ぴた、と彼の仕草を捉える。
「触り心地が良さそうだな」
「統也はいつもボサボサだもんね。お手入れが足りてないんだよ。ボクのトリートメント貸そうか?」
「あの、甘ったるい匂いのするヤツか? あれの匂い、女子みてーでオレ苦手なんだよな」
「今どきそういう言い方流行んないよ」
「そう言ってオレの価値観まで押さえつけるなよな」
 翼と命の間で小さく火花が散っている。すぐ様仲裁に入りまあまあと窘めつつ、京は再び空を見始めた統也を不思議そうに眺めた。自ら率先して話題を作っておきながら、皆が話にのる頃にはもう飽きていて、既に別のものに視線を移してしまっている、なんて事は、彼にはよくある話だった。そんな彼に振り回されつつも、なんだかんだ交友を続けている自分達は、気付かぬうちにすっかり統也節の虜になってしまっているのかもしれない。そう思い、京はカーテンの影でこっそりと笑った。そしてふと、今朝日野川から言われた事を思い出す。統也に教えてあげれば、喜ぶかもしれない。
「統也くん、今日の夜、南門の塔に登ってみない?」
「南門の塔?」
「なんでそんな所に」
 統也が答える前に、命と翼が頭に疑問符を浮かべた。それものその筈、南門に併設されている五階程の高さの細い塔は、最上階に設置してある望遠鏡の他には何も無く、それこそ天体観測位しか用途の無いような謎めいた建物だった。部活動という類のものが存在しない本校においては、課外活動で使用するなんてことは考えられないし、ましてや授業で使用する事も無い。学園の関係者ならば許可無く登ることは出来るが、彼らの周りで常日頃から塔を使っているのは、変わり者の統也と、特別講師の理沙子くらいであった。
「あの女の場合は、まぁオレたちをいかがわしい目で見る為に使ってんだろうな。望遠鏡が学園側に向いてんぜ」
「え……それ初めて知ったんだけど。そんな事して大丈夫なの、先生」
 衝撃の事実を知らされて京は一瞬思考停止する。だが、京以外の三人は、理沙子の奇行に特にダメージを受けてはいないようだった。
「オレらも気にしねぇし、学園側からお咎めがなければ大丈夫なんじゃね?」
「今の所手は出されてないから良いんじゃない? 可愛い生徒に惚れ惚れしちゃう先生の気持ちもわかるし」
「面白いことをするな! 俺様も今度学園を覗いてみるか!」
「えぇ……」
 後輩たちと話が通じない。がっくりと項垂れる京の背を、命は面白いものを見るような顔でバシバシと叩いた。
「アイツならその辺はちゃんと弁えてるだろ。ちょっとおかしなコミュニケーションだとでも思っとけ、優等生くん」
「つくづく君たちとは常識が合わないな」
 苦笑しつつ、京は脱線してしまった話の車体を軌道修正させ、記憶を探る。週に一度の報告会の後、日野川に教室へ資料を届けに行くのを手伝ってくれないかと声をかけられた京は、その道行きで彼にこんな話を聞いた。


「京くんは、今日の夜街の方で花火が上がるの、知ってる?」
「花火、ですか?」
「そう。この学校のある政令都市が出来てから、今日で十年経つでしょ。記念のお祭りが開かれるんだよ」
「へぇ……知りませんでした」
 二週間前に知っていたなら、外出届を出して皆で遊びに行けたのに、と呟く。けれども京の顔はその口ぶりに似合わず、何処かホッとしているように見えた。それは、『外出』の意味するところが何なのか、痛いほどに知っているからだろう。それが、頻繁に学園を出入りするにも関わらず、ヴィクトリアの思惑が外部に何一つ漏れない理由──。
 日野川はしばらく、何も言わずに京の表情を横目に見ていたが、やがて全てを優しく塗りつぶすかのようににっこりと笑うと、楽しそうに口を開いた。
「花火だけなら、学園からも見えると思うよ。皆で見てみたらどう?」


「へぇ、先生がそんなことを」
「あのチビもちゃんと人間みてぇなこといいやがんのな」
 いつもの如く、ズバズバと歯に衣着せぬ物言いをしながらも、命の左目は輝いていた。
「でも、面白そうだな。行ってみよーぜ」
「星もいいけど、花火なんで見るの、いつぶりかなぁ」
 窓枠に頬杖をついて、翼がうっとりとした様子で言葉を漏らす。京は微笑んで、統也の方を向いた。
「統也くんはどうする?」
「……勿論。非日常は大歓迎だ」
 金色の瞳が怪しげに光る。また何かしでかすのでは無いか、という不安はあったが、それよりも、まだ見ぬ期待にわくわくとした気持ちの方が強く胸を覆った。
「じゃあ今夜、塔の前で」
 京の言葉に、三人はそれぞれ頷いた。


 午後九時。螺旋状の階段に、ばらばらと不規則な足音が響いていた。ランタンで足元を照らしながら、京は昼間の話し合いから全く人数が増えていないことに首を傾げる。
「永遠くんは絶対に来ると思ってたんだけど」
「あー、アイツ、今日は昼間はしゃぎまわってたらしいぜ。疲れたから先に寝るってよ」
「光希くん達と一緒に裏山の方に行ってたみたいだよ?」
「紫乃もいつもより疲れているようだったな!」
 京は、それぞれの話を聴きながら、確かにいつもなら郁も無言で頷いて着いてきそうなものだったのに、と思い直す。どうやら、昼間自分達が話をしていた時、郁達は郁達で四人一緒にいたらしい。
「珍しく紫乃が楽しそうにしていた。何をしていたのか気になったが、秘密だと言って教えてくれなかったな……」
 しゅん、と言う効果音が聞こえてきそうな程あからさまに、統也が肩を落とす。紫乃は不器用で人付き合いが極端に苦手な少年ではあったが、統也にだけは心を開きつつある。その為、彼が統也にまでかくしごとをするのは珍しい。
「あの四人、何やってたんだろうな」
「やけに結束してるみたいだったけど……まぁ、ボクらも秘密にしちゃえばいいんじゃない?」
 勢いをつけた駆け足で、最前列にいた翼が最後の一段を登りきる。それと同時に、大地を揺るがすような大きな音がして、紺色の空一面に色とりどりの火花が咲き乱れた。
「凄い……」
「ここでも十分うるせぇから、祭り会場じゃあ爆音で花火どころじゃないな」
「寮からだとこんなに一面には見られないだろうしね。僕達だけが特等席にいるんだよ、きっと」
「あぁ……夜明けの光が見劣りするくらいにな」
 統也が発したその言葉の意図は、通訳なしでも十分に届いた。四人は沈黙したまま空を見上げる。背伸びをすれば届きそうなほど、天に近づいた夜。咲いては散る一瞬の光が、伸ばした手に降り注いだ。

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