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​小休止2「時を止めた花」

 「お花見しよーよ!」

 ある晴れた休日。いつも通りあっけらかんとした永遠の一言に、その場にいた少年達は怪訝そうに顔を顰めた。
「お花見って……今何月だと思ってんの」
 六月だよ梅雨だよ、と淡々と答えた紫乃は、窓の外に広がる快晴の空を見上げて恨めしそうに眉間に皺を寄せた。それにならい、静かに本を呼んでいた郁も、ゆっくりと顔を上げる。二人の目つきは、さながら空に親でも殺されたかのような鋭さを保っていて、永遠は苦笑しながら二人の肩を抱く。
「せっかく晴れてんのに、なんで二人ともそんな仏頂面なのさ!」
「俺は別に、普通の顔をしたつもりだったんだが」
 なぁ?と郁は目の前のソファに腰かける小さな頭に向かって話しかける。郁に声をかけられて、本の背表紙に隠れていた顔がそっと姿を現した。小さな少年──光希は、きょとんと目を丸くしたあと、しばらく郁を見つめていたが、やがてにっこり笑って頷いた。
「はい、いつも通りの顔です。でも、少し嬉しそうですね」
「マジで!? いくたん嬉しそうなの!? その顔で!? ふふっ、やっべ」
 ツボに入ったのか、永遠は一人肩を震わせて笑う。そんな彼に向かって睨みを効かせながらも、紫乃は鬱陶しそうに話を続けた。
「で、今の時期にお花見ってなんなの? 桜じゃなくて、紫陽花、とか?」
 けれど、紫陽花の鑑賞をするとして、果たしてそれを花見と言うだろうか? 花見と言えば、やはり桜に限るのでは無いだろうか。内心首を傾げながらも永遠の方を向いた紫乃は、そこでぎょっと目を見開いた。永遠は、よくぞ聞いてくれましたとばかりに気持ちの悪い笑みを浮かべ、紫乃に近寄ってくる。
「ちゃんと桜だよ。気になるよね、なんでこの季節にお花見が出来るのか。ねぇ、答え知りたくない?」
「……嫌だ、僕は行かないからね」
 捕まえられそうになったのを察してか、紫乃はサッと立ち上がると、永遠とは対極に位置する部屋の隅へ移動した。
「むー……じゃあいいよーだ! いくたんとひかりんは行ってみたいよね?」
「はい、気になります!」
「俺も……興味がある」
「はい、けってーい!」
 扉に向かって意気揚々と歩く永遠に続いて、郁と光希もあっさりと着いていく。光希はともかく、本に熱中していた郁ならば、もう少し抵抗を見せるだろうと思っていた紫乃は、急に仲間を失ったような不安にとらわれた。
「ちょっと、待っ……」
「あれ? なぁに、しののはお留守番じゃないの」
 にや、と意地悪く笑う悪魔と対峙し、紫乃は見栄と本性の狭間でぐらぐらと揺れる。しかし、永遠の予想に反して、紫乃は案外あっさりと折れた。
「僕も行くよ。皆だけじゃ心配だから」
「素直じゃなーい」
 眉間から皺を外さない紫乃を見てけらけらと笑いつつも、永遠は手を差し伸べる。
「じゃ、皆で一緒に行こ」

 永遠が向かったのは、校舎の裏にあるなだらかな山だった。ここになら、紫乃も何度か来たことがあるが、春以外に桜が咲いているのは見たことがなかった。首を捻りつつ永遠に従いついていくと、永遠はやがて、蔦の生い茂る低木の前で立ち止まった。その先は木々が入り組んでいて、とてもじゃないが人は入れない。完全に行き止まりだ。
「永遠、道を間違えているんじゃないか?」
 顔色は変わらないままだが、郁の声音は不可解さと好奇心に満ちていた。もしや意外と、この人はお茶目だったりするのだろうか。見た目だけじゃ分からないものだな、と紫乃はそっとため息をつく。それに気づいたのか気づかなかったのかは分からなかったが、紫乃の吐息をかき消すように、永遠は得意げに話を続けた。
「間違えてないよ。この下に抜け道があるの」
「あ、本当だ! 凄い、絵本の中の世界みたいですね」
 光希が嬉しそうにしゃがみこんでのほほんと笑う。普段は責任感の強い性格で、先輩たちと対等に渡り歩いていける彼ではあるが、こういう所を見ると年相応のあどけなさも伺えた。彼の両サイドにいる二人も、揃って低木の下を覗き込んだまま動かないので、少し後ろで砂を蹴っていた紫乃も、その異様な光景に引き寄せられずには居られなかった。後ろからそうっと覗き込むと、そこには、しゃがみ込みながら進めば大人の男でも通り抜けられそうなほど大きな道が隠れていた。普通に歩いていたならば、茂みに隠れて見えないその道は、まさに抜け道と言うに相応しい外形であった。
「こんな所に道があったんだ」
 素直に感嘆の声を上げると、賛同するように郁も頷いた。
「この辺りは俺もよく通っているが、低木の辺りをじっくり見た事は無かったな」
「そうでしょ? 僕もこの前みこから逃げてる時に初めて見つけてさ。多分、学園の中でも僕らしか知らないところだよ」
 永遠についでゆっくりと道を進んでいく。距離にしておよそ二十メートル程だろうか、紫乃達が予想していたよりも随分早く道は開けた。しかし、狭い道を抜けるとそこはもう、先程までの緑生い茂る山の中とは反転した世界だった。


一面の、桜。


 上も下も右も左も分からない。六畳ほどの小さな芝生の広場を取り囲むように、目に入る全ての空間を桜の花びらが覆っている。突如として知らない世界に迷い込んでしまったかのような、地に足のつかない不安を覚え、紫乃は慌てて永遠を探した。秘密の空間に共犯者を誘い込んだ彼は、抜け道とは反対側にある一際大きな桜の幹に手を当て、上を見上げていた。近づくと、彼は魔法使いのような顔をしていた。どんな感情とも似つかない、けれどもどんな不可思議にも動じない、そんな顔だ。
「これ、君の【力】なの?」
「違うよ。僕の【力】は植物には効かない」
 ゆるゆると首を降って、永遠は口を開こうとする。だが、彼が言葉を紡ぐ前に、後ろから別の声が飛んできた。
「これはきっと、学園の力だな」
 振り返れば、郁と光希が並んでこちらに歩いてくるのが見えた。ひらひらと舞う花弁を無邪気につかまえようとしている光希を微笑ましそうに眺めた後、郁は途方も無い記憶を探るように、重いため息をついた。
「十年間、俺たちの力を少しずつ取り込み続けて、既に無機物でも無くなってしまった。空間をも捻じ曲げる土地の力だ」
 異能を匿い続けることの出来たこの学園自体、元から異質なんだよ、と郁は続ける。
「俺たちはまだ知らない事だらけだ。五年間いた俺でさえ、何も分からない。現にこんな所が合ったことすら、知らなかった」
 郁はぐるりと後輩たちを見渡した。いつも無表情の彼が、困ったように人差し指を口に当てる。その仕草は、どこかあの懇ろなまとめ役を思い起こさせるようなものだった。
「この事、京には秘密にしてもいいか?」
「良いけど……なんで」
「……多分、京は人を超越した力を憎んでるから」
 解るような、解らないような答えに、永遠は一瞬怪訝そうに首を傾ける。しかし、全てのことを理解している必要は無いと明朗に思い直し、きらきらと光る丸い目を瞬かせて答えた。
「いくたんがそう言うなら多分そうだね。難しいことは分かんないけど、僕もみこに見せるのはやめとこっと」
「それなら僕も翼くんには内緒にします」
 両手にいっぱい花弁を抱え、光希が笑う。黙って話を聞いていた紫乃は、彼の言葉に若干の違和感を覚え、その言葉を引き止めた。
「あれ、呼び方、そんな感じだったっけ」
「え?」
「翼のこと、そんなに親しく呼んでたっけ」
「あぁ! 翼くんがこう読んでいいよって言ってくれたんです」
 いつの間にそんな所まで。一年下の後輩の方が、自分よりも遥かに打ち解けようが早くて、紫乃は不可思議な空間の効果もすっかり途切れてしまっていた事に気がついた。まるで友達みたいなやり取りが出来たと思ってしまった自分自身すら、心は緩やかに忌避していくようだった。
「……僕だって、統也には秘密にする」
 郁と永遠は、紫乃のそのぶっきらぼうな声が、光希に対抗するような強い意地を含んでいた事に気がついたが、顔を見合わせて微笑んだだけで何も言わなかった。灰がかった白い髪に、またひとひら、色付いた感情の花弁が落ちる。

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