top of page

​間奏2『列車の窓は僕らを頒つ』

 最後に京と話をしたのは、日数に置き換えてみればほんの1日前の事だった。それなのに、もう何ヶ月も会っていなかったような、随分と遠くに来てしまったような感覚だけが残っている。それは京も同じだったようで、どこか忙しない様子で響希の向かいに腰かけた。
「先生は、こんな得体の知れないところまで来たのに、落ち着いていられるんですね」
「今更だろ? 感覚が麻痺してしまうくらい、信じられないことを沢山経験したよ」
「それもそうですね」
 納得するように綻んで、京はそっと床に目線を落とした。響希の落ち着きようを見て、本題に入るべきだと悟ったらしい。何かを言いかけては呑み込んで、言葉を吐き出しかけては堪えてを幾度か繰り返した後、京は僅かに上擦った声をあげた。
「響希先生の力を、僕にください」
 その言葉がトリガーとなり、京は堰を切ったように話し出す。この世界は【救世主】たちの行き着く場所だということ。ここを管理しているリクとソラという少年たちのこと。誰か一人に全ての力を集め依代とし、その魂を現世へ送れば、生き残った【救世主】たちを救えるかもしれないということ。そして、その誰か一人に、京自身がなろうとしているのだと言う事を。
「ソラさんは、現世に向かう魂のことを、『世界を書き換える第一人者』と呼びました。僕は、一番最初に皆を置いていってしまった。そうするしか無かったとは言え、ずっとその事が気がかりでした。だから、もう一度皆の手助けになれるなら、僕は皆のところへ行きたいんです」
 そう呟いて顔をあげた京の瞳は、少しだって揺らいで等いなかった。けれど響希は、その奥の奥、誰にも見せない心の内の彼が、己の行く末に怯えているように見えた。確証は無かったが、彼とよく似ている響希になら分かる。京は今も尚生きたがっている。魂だけの姿になっても、仲間と離れたくないと。はるか昔一度だけ見た、幼い彼の姿が響希の中にフラッシュバックする。しがらみの解けた今、彼を二度も苦しめる理由は無かった。響希は小さく息を吐くと京と目を合わせた。強がりの小さな少年を、これ以上犠牲にはさせまいと口を開く。
「それは出来ない。君には荷が重すぎる」
「でも!……誰かが行かなきゃいけないんです。一度向こうの世界に戻って苦しい思いをした郁や、まだ現世に身体が残っている統也くんや紫乃くんにそんな事はさせられない。だから……!」
「僕が行くよ」
「え……」
 上気した京の声を遮って、響希は呆れたような笑いを浮かべた。この子は優等生で責任感は強いが、少々大人を見くびっているな、と思いながら、響希は尚もゆったりと続ける。
「ここに来たばかりの魂の方が現世と繋がりやすいと言うなら、一番新参の僕が適任だろうし。それに、そんな泣きそうな顔で言われてもね。力を預けるのが気の毒になるよ」
「なっ……」
 再び短く言葉を切って、京は慌てたように瞬きを繰り返す。まさか響希が名乗りをあげるとは思っても見なかったのだろう。同じ【救世主】とは言え、彼の中では未だ敵同士という認識の方が強いのだから無理もない。けれど、響希はそれでも構わなかった。京は響希を許さなくていい。これは許しを乞う為にした事ではなく、もう彼らを離れ離れにはさせたくないという響希のエゴなのだから。
「ほら、早くしないと、また誰か死んじゃうかもしれないよ。君の力を僕に頂戴」
「……先生は、怖くはないんですか」
 ようやくまともに口を開いたかと思えばこうだ。いつだって、彼が真っ先に心配するのは人の事。やはり気に食わない。
「君たちが苦しむ方が怖いよ」
 響希は笑って立ち上がると、座り込んだままの京の後ろから、ちらりと顔を覗かせる丸い鳥と目を合わせた。
「ほら、おいで」
「キー……」
 鳥は、おぼつかない足取りで前へやってくると、しばらくじっと京を見つめていた。このまま行っても良いの?と問いかけるようなその視線に、拗ねたように口を閉ざしていた京もいよいよ折れた。
「良いよ。行ってきな」
「キー!」
 パタパタと勢い良く駆け出す鳥は、やがて小さな光となって響希の身体に吸い込まれていった。京は恨みと感謝が綯い交ぜになったような、何とも言えない表情でそれを見送ると、響希に聞こえるように盛大にため息をついてみせた。
「狡いです、貴方は」
「優等生くんにまでそんな事言われるようになるとはねぇ。……良く頑張ったね」
 響希はくすくすと声を上げながらそう言うと、去り際に勢い良く京の頭を撫でてから部屋を出ていった。恐らく、他の【救世主】の元へ行くのだろう。力を引き受ける代わりに、忘れられない一言を残して。
「悪人だと思っていたのに、これじゃ本当に救世主じゃないか」
 してやられた、と言いたげな含みを持った声が、暖炉の炎が爆ぜる小さな部屋にこだました。全ての力が集結した魂は、もう幾許も無く、運命の列車に運ばれてゆく。その先に待つのが、どうか幸せな未来でありますようにと、京は静かに願った。

bottom of page