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第43楽章『運命を頒つ時』

 夜の闇での戦いは、体力・注意力共に、昼間のそれよりも一層神経を研ぎ澄まさなくてはならない。肩で大きく息をしながら、命は前方の黒い影を瞬時に捉え、あっという間に燃やし尽くした。化け物が火種となり、僅かな間だが周囲が煌々と照らされる。伸ばした弓のように張り詰めていた少年たちは、その明かりに安堵の息を吐いた。
「ありがとう、命。これでしばらくは視界良好だ」
「……? どういう意味だ、それ」
「おいおい、こんな時まで馬鹿かよ。……よく見えるってこと。助かる」
 ぽん、と肩に手を置いて、彼らはどんどん先へと進んで行く。命もそれに続こうと体を傾けた時、背後からのんびりとしたからかうような声が降ってきた。
「みこに合わせていちいち言い直してる方が、戦うよりも体力使いそう」
「お前なぁ。そう言ってあんま余裕ぶんなよ」
 能天気に足で砂に絵を描く永遠は、やはり他の少年たちと比べても何処か危機感の無い顔をしていた。丑三つ時まで続く、今までに例の無い戦い。怪我人も、恐らくは死者も出ている。統也のように、昼間無数の暗闇に飲み込まれ、行方知れずとなっている者も少なくはなかった。それなのに、永遠はまるで日常を生きているかのような顔をしている。痛いほどに楽観的な顔を。
「なぁ」
「何?」
「今なら、泣いてもいい。俺以外には、傍には誰もいないから」
「え、なになに、いや、急にどしたの?」
 真剣な眼差しで捉えた永遠は、本当に困惑しているようだった。演技でもなんでもなく、ただ、感情と感覚の一部がすっかり壊れてしまったようだった。しばらくの間、そうして永遠を見つめていると、彼は少しばかり視線を泳がせたあと、歯切れ悪そうに口を開いた。
「僕は特に、泣きたいことなんて無い、けど。逆にみこは何か無いの、言いたいこと。今この辺には、僕しかいないんだけど」
 予想だにしなかった所からの返答に、命は何を言っているのかと目を丸くする。俺が言いたいことって、なんだ? 俺は隠し事なんて何一つしていない。というか、そんな器用なことが出来る性格じゃない。そこまで考えて命はふとひとつ、思い当たる節がある事に気がついた。そういえばこの一年、もっと言うと七ヶ月くらい。こいつに悟られながらも、ちゃんと言えなかったことがある。言おうと試みた者の、どうにも歯痒くて気恥ずかしくて、何の言葉にも出来なかった感情がある。もしかして、こいつはその事を言っているんじゃないだろうか。命はグッと息を呑み、手を握りしめた。冬の夜である筈なのに、身体は火照り鼓動は速度を増していく。何の準備もしていなかった命は、遠くから聞こえてきた、仲間の剣が擦れる音を理由に、何とか話を逸らすことに成功した。
「な、何言ってんだ。俺もそんなのねぇよ。それよか、早くあいつらの所に合流だ」
「ん……そだね」
 永遠は僅かに口元を歪め、腑に落ちない顔をした。きっとおちょくってくるか、そうでなくとも笑顔は見せるだろうと思っていた命は、その反応にチクリと小さな後悔を覚えた。


──そして、その後悔は消えることなく、一瞬にして闇に浸透していった。

 最初は仲間の叫び声。次いで何かがこちらにやってくる、地響きのような音。理解が追いつかない頭に、仲間の声が今度ははっきりと聞こえた。
「すまない、でかいのを取り逃した! 二人とも逃げてくれ!」
 彼の悲痛な声が届く頃にはもう、頭上の木々に抱きつくような形で【それ】はこちらを見下ろしていた。今にも尽きてしまいそうな【略奪者】は、最期の力を振り絞り、木の幹ごとこちらを巻き添えにする為に倒れてくる。本当、身も心も性悪な化け物だ。考えるより先に体手が動いた。力なんて使っている暇は無かった。命は素早く永遠の腕を引くと、化け物に背を向け、自身の下に庇うような形で永遠を抱きしめた。
「みこ……」
 永遠の声は、いつもと違う不思議な音色を帯びていた。閉鎖的な場所にいるからだろうか、それとも生命の危機を感じていたからだろうか。いや違う。この声の感触は、命もよく知っている。永遠が使っているのを見たのは、もう随分も前の話だが、それでも強力な力のことは覚えていた。
 彼の力はスーパーヒーローだった。一人につき一度。たった一度だけ、どんな願いでも、命令でも、叶えさせる力。
「生きて」
 泣くことなど無いと言ったはずなのに、その三文字は震えていた。言葉を返す余地も無く、永遠の声を聞いた瞬間に、命の身体だけが勢いよく真横へ飛ばされた。そして、永遠だけになった地面の上には、根元から折られた無数の木々と、ただの器となった黒い影が、彼を押し潰すように降り注いだのだった。

「永遠ぁ……っ!!!」

 頭を押え、口の中に血の味が広がるのもお構い無しに、命はやっとのことでその場所へと辿り着いた。屍となった黒い塊は、想像以上に重く、積み重なった木々も、一人では動かすことが出来ないほどに頑丈だった。言葉にならない言葉を叫びながら、必死にその下にある物を退けようとする命を見て、少年たちも何が起こったのか悟ったのだろう。彼らはすぐ命に加勢して、十数分の後には永遠の身体は救出された。
「息がある……!」
 永遠は、左の二の腕から肘にかけて酷い出血が見られたものの、その他に目立った傷は無く、応急処置として木の枝と自身の上着で腕を固定した後は、呼吸も正常だった。命は安堵のあまり、永遠を抱えたままその場にへたりこむ。
「おい、起きろバカ。怪我してんだから、さっさと寮に戻るぞ」
「うぅ、痛っ」
 頬を叩かれ、永遠は気だるそうに目を開けた。ぼうっとした眼差しで、泣きながら喜ぶ命や周りの少年たちを見つめた永遠は、やがて小さく首を傾げこう言った。


「えっと、君たち……誰?」

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