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第41楽章『君の調べ』

 理沙子と響希が寮に辿り着いた時には、既に彼らは集まっていた。とは言っても、そこにいるのはたったの四人。以前会った時には八人いた筈なのに、今はもう半分になっていた。
「理沙子先生、無事で良かった。……響希先生も」
 快晴の瞳を気まずそうに逸らして、それでも翼は響希の名前を呼んでくれた。きっと思うところは溢れ出る程にあるのだろう。けれどこの少年は、少年たちは、響希に手を差し伸べることを選択したようだった。響希は、それぞれ違った温度でこちらを見ている彼ら一人一人を見渡して、小さく唇を噛み頭を下げた。
「ごめんなさい。身勝手なのは、分かっている。君たちの先輩を追い込んでしまったのは僕だし、許されないことをしたと思っている。でも今は、本当に君たちを救いたいんだ。だから先生の端くれとして、君たちを守らせて、くれないかな」
 応答は無い。彼らは呆れてしまったのだろうか。もう響希を罵ることさえも億劫に感じる程に。一瞬、そんな冷たい予感が彼の頭をよぎった。しかし次の瞬間、響希の前に静かに佇む者が現れた。
「君は……」
 それは光希だった。あどけない薄桃の双眸は、哀れみと優しさを抱えて、響希を真っ直ぐ見つめていた。
「僕は、先生を許せないと思ったことは、一度もないです」
 驚きで咄嗟に声が出なくなった響希をゆっくりと包み込むようにして、彼は言った。
「だって先生、いつも苦しそうで寂しそうだったから。……仲間だったらいいなぁって、ずっと思ってました」
「君は……優しいね」
 緊張が解けたように、響希の口からは不揃いな息が漏れた。それが空気を緩める合図になったのだろう、にっこりと目を細める光希の後ろから、あからさまに大きなため息が聞こえてきた。鋭い目つきでこちらを睨みつけていたのは、命だ。
「オレはそんな甘っちょろいことは無理だね。全部終わってから、二発殴らせろ」
「二発……?」
「オレの怒りの矛先と、あとは京先輩の分。あの人のは、多分すげぇ重いぞ」
 口の端を引き上げるようにして、命はニヤリと笑う。響希はしばらく目を丸くしたあと、堪えきれずに小さく吹き出した。
「あ? 笑うなよ」
「ごめんごめん! 分かった。しかと罰は引き受けます」
「じゃあ仲直りってこと? 良かったね~皆!ちなみに、僕もひかりんと同じで、ひびっきーのことを嫌いになったことなんてないからねっ」
 和んだ場の空気に乗せられて、あっけらかんと永遠が口を挟む。理沙子と翼もつられて笑顔になって、彼らが作った円の中は、つかの間の心地良さを育んでいた。
「ありがとう。君たちの歌声を、君たちの音を、僕は絶対に守り抜くよ」
 光希たち、そして、ここに居ない全ての【救世主】の分まで。救い人を救う存在として、響希はもう一度この世に生きることを許された。自分自身のことも許した。ならば後は、立ち向かうだけだ。そう決意を固めた瞬間、彼の身体の内側で、何かがぐにゃりと蠢いた。

 


 少し前から、身体の中を這いずり回るようなモノの感触には気がついていた。それが化け物の一部であることも、既に身体の大部分がそいつに支配されていることも、とっくに察しがついていた。きっと多分、ここを抜け出したとして、響希はもう長く生きることはできないだろう。自分の身体のことは、自分で良く分かっている。
 けれど今は知らないふりをしていたかった。一緒に生きようと涙を流してくれた家族と、過ちを許してくれた仲間の傍で、最後まで戦い続けていたかった。それが響希の使命で望みだと、今ならはっきり言える。
 だからあと少しだけ、この夜が明けるまで、僕を人でいさせて欲しいと、響希は小さく願うのだった。

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「何も聞かずに、着いてきて」
 切羽詰まった顔の京にそう言われ、紫乃は短く頷くことしか出来なかった。にわかには信じ難いが、彼がいるということは、ここは死後の世界なのだろうか。震える足を何とか前に運んで、彼に連れられた行った部屋の中には、懐かしい郁の姿、そして、誰よりも会いたかった人がいた。
「統也……!」
 誰かが言葉を発する前に、紫乃は走り出していた。抱えていた鳥を無意識に放り投げ、紫髪の少年に飛びついた。以前の彼ならば、考えられないような行動だった。
「とう、や、無事で良かった、怪我してなくて、良かった」
「紫乃……うん、俺様は無事だぞ。痛いところもない」
 統也はそう言って、ゆっくりと紫乃の背中をさする。そして、捨てられ憤慨する鳥を宥めている郁に視線を移した。
「俺様達は、まだ現実世界で生きているのだろう?」
「あぁ。ソラさんの本にお前たちの情報は浮き上がってきていない。恐らく何らかの衝撃で意識だけがこちらに飛ばされたようだ。それに、こいつらが不完全に透けているのも、お前たちの身体がまだ息をしている証拠……と、ソラさんが言っていた」
 こいつら、というのは連れてきた鳥の事だろう。統也の傍に座り少し平静さを取り戻した紫乃は、改めてまじまじと鳥を見つめた。確かに、先程までは柔らかそうな毛並みで覆われていたが、今は床のカーペットが僅かに透けて見えている。
「キ?」
「…………」
 無言で鳥を撫でながら、紫乃はパンクしそうになる頭を必死で整理する。郁の話も統也の話もよく分からなかったけれど、二人の口ぶりから察するに、やはり京と郁はもう生きてはいないのだ、ということだけは理解出来た。それはとても悲しいことで、悔しいことのはずなのに、当の本人達は何故か、統也と紫乃の心配ばかりしている。
「君たちがここに来た理由は分からないけれど、また会えて良かったよ」
「絶対元の世界に返すからな」
 そんな風に優しく微笑んでくれるこの人たちのことが、紫乃はどうしようもなく好きだった。それなら一緒に帰ろうよ、という言葉を飲み込んで、紫乃はこくりと首を縦に降る。
 何も分からないのに、それが不可能なのだということを察してしまった。勘づいてしまった。ならばせめて、もう一度この人達といられる時間を、今度は素直になって受け止めよう。そんな彼の心に寄り添うようにして、鳥が嬉しそうに一声鳴いた。

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