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​第35楽章『殉教』

「おい、1678号。京を部屋まで案内してあげな」
「キ!」
 郁の体が向こうの世界に送られた後、残された京は、先にこの世界で過ごす為の準備を整えることになった。先程消えていったはずの鳥──どうやら1678号というのが名前らしい──がいつの間にか戻ってきており、リクの指示に従って威勢の良い鳴き声をあげた。
 そのまま鳥は京をちらりと見やり、着いてこいとばかりに踵を返し、ぺたぺたと廊下の先を歩いていく。困惑したようにその後ろ姿を眺める京に向かって、リクはさらりと説明した。
「来る時に、たくさんの家が並んでいるのが見えたろ。この母屋とあの家々は、全部地下道で繋がっているんだ。1678号について行けば、外に出ることなくお前たちの家につく。郁にも後で教えてやってくれ」
「はい、分かりました」
 どうやら、リク達のいる一際大きなこの家が『母屋』となっているらしい。外から見えた数多の家々は、その数の分だけ地獄送りになった【救世主】がいることを表していた。まだ幼い頃に死んでいった仲間や、いつの間にかいなくなってしまっていた仲間のことを思い出し、京は一瞬歩くのを躊躇った。しかし、そうしている間にも鳥、もとい1678号はどんどん前に歩いていってしまう。京は意を決したように拳を握りしめると、地下へ続く階段に向けて一歩を踏み出した。

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 それは、穏やかな昼過ぎのことであった。03地区某所の警察署に、一本の不可思議な電話がかかってきたのである。電話の主は、「杜若 千恵子」と名乗る四十代程の女性で、息子の通う某有名音楽学校で事件が起こっているから、今すぐ調査に向かって欲しいとの事だった。警察側は、すぐには受け答え出来ないとし、折り返すことを約束して一度電話を切った。しかし、その後すぐ、今度は某学校の近隣に住む人々からの電話が鳴り止まなくなった。
『学校のある丘の上から、竜巻のような音が響いているんだ。朝からずっとだよ』
『子供たちの悲鳴が、微かに聞こえたんです』
『彼処は敷地内に入るのにも関係者専用のカードが必要でしょう? 学校にかけても繋がらないし、私もう心配で……』
 これは、どういうことであろうか。電話を受けた男は眉をひそめて考え込む。かの学校の事は、彼もよく承知していた。国随一の教育を誇り、数々の音楽家たちを世に送り出してきた名門校。そんな限りなく優等な機関で、一体何が起こっているというのだろう。
「あの学園に派遣されている外部講師とも、連絡が取れなくなっているようです」
「……今から、調査の許可を得て学園に向かうには、最短どれくらいかかる」
「恐らく、早くても丸一日」
「駄目だ。遅すぎる。半日で向かえ」
「承知いたしました」
 部下の青年は、あたふたとした様子でそのまま部屋を出ていった。男はその姿を見ることもせず、ひたすらに受話器を睨み続けている。
「なんだ、この違和感は。まるであの事件の時のようだ」
 『集団機能消失事件』。十二年前、突如現れた【略奪者】という怪物。奴らは世界を混沌と恐怖の渦に陥れ、世界の形を決定的に変えてしまった。そしてある時、何の予兆も無くピタリと姿を消した。今世紀最大の怪異と呼ばれる事件である。
 その時のことを反芻し、男はふと顔をあげた。固く結ばれた幾つもの紐が、少しずつ着実に、解かれていくような感覚を覚える。
「そういえば、あの学園が出来たのは、ちょうど事件が静まった頃だったな」
 一人そう呟いた男は、開いたままになった扉を抜けて、どこかへと走り出して行った。

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 京達を探しに行った命達が戻ってきた時、紫乃は一瞬で事の顛末を察してしまった。目を伏せて無言で歩いてくる命と、何かが欠落したような顔のまま、薄い笑顔を貼り付けただけの永遠。そして、探し人たちの存在がこの場にいないことが、何よりも確かな証明になっていた。
「京先輩たちは、どうしたの?」
 同じく嫌な予感を感じたのだろう、翼が震えた声でそう口にした。命は黙ったまま、ただ床の一点を見つめながら小さく首を振る。
「いなかった、の?」
「……消えた」
「え」
 声と共に掠れた息の漏れる音がした。短く言い放った命に、翼は更に食い下がるようにして問い詰める。
「消えたって、何、何だよそれ。先輩たちはどこに行っちゃったの」
「言葉通りの意味だ。存在ごと、消えた。あの人たちはもういない」
「……死んだって、そう言いたいの?」
 普段の彼からは想像もつかないような低い声と、不穏な冷気が辺りを覆う。命は一瞬、否定するかのように何かを言い淀んだが、そのまま力なく頷いた。否定できる事実は、どこにも見当たらなかった。
「そうだ。校庭一帯にいた【略奪者】全部巻き添えにして」
「なんで……」
 その言葉の続きを、紫乃は予測出来なかった。項垂れて言葉を失った翼と、真顔で彼の頭に優しく手を置いた命のことを、彼は半ば客観的に眺めていた。信じられなかったし、信じたくもなかった。どす黒い波が、翼を中心に紫乃たち全体を飲み込んでいく、そんな錯覚に襲われる。
「助けてあげられなくて、ごめん」
 しかしその時、一際異彩を放った声が辺りの空気を木っ端微塵にした。声の主は永遠だった。彼はただ一人、悲しむでも怒るでもなく、殊更明るく、前向きに、といった様子で、言葉を続けた。
「でもさ、これから頑張って敵を全部倒せば、きょーちゃんたちもきっと喜んでくれるよ! だからもう少し頑張ろ!」
「は……?」
 翼の瞳は、明らかに永遠を敵視していた。まあそれも無理は無いだろう。輪の外側で見ていた紫乃でさえ、今の彼が異常であることは一目瞭然に理解出来た。
「何言ってるの。何でそんな笑顔なの」
「だって、僕らが頑張んなきゃ」
「永遠……!もういい、大丈夫だ」
 硝子のように輝いている永遠の瞳には、最早憤る翼も焦る命も見えていないようだった。きっと永遠は、自分を守る為にこんな風になってしまったんだ。恐ろしく冴え渡った頭で、紫乃は彼に情を寄せた。だが、酷く動揺している翼には、そんな考えに至る余地は無かったらしい。永遠と、永遠を宥める命に向かって、「薄情だ」と呟くと、言葉を失ったまま後ろで狼狽えていた光希の手を引いて、寮の方角へと歩いていってしまった。
 残された空間に緊張が漂う中、不意に口を開いたのは、紫乃同様今まで黙って話を聞いていた統也だった。彼は、一度呼吸を整えると、僅かに瞬きをして命を見据えた。
「永遠は、ショックを受けているのか」
「……多分。先輩達がいなくなったって分かった時、オレが励ますようなことを言ったせいだ」
 あの時、異様に震えていた永遠に、命がかけた言葉。
『先輩たちが自分を盾にして守ってくれた世界に、最後まで向き合うのが、オレたちの使命だ』
 どんなに辛くても、彼らは前に進まなければならない。ならばせめて、暗い気持ちを殺して前へ。そんな優しさを秘めた言葉が、永遠には呪いになった。いや、言葉の内容はどうでも良かったのかもしれない。ずっと永遠を救い続けてきた命の言葉だったから、永遠は簡単にそれを受け入れることが出来たのではないか。だとしたら、命は永遠を救う一方で、無意識に彼を傷つけてしまったことになる。
「でも、良いんだ。永遠がこれで苦しくないのなら。……すまん、翼には、お前たちから代わりに謝っておいてくれないか。きっと今は、オレの声も聞きたくないだろうから」
「……ああ」
 頷いた統也の横から、話が終わるのを待っていたかのように、ひょいと永遠が顔をのぞかせる。
「ねえ、なんの話してたの?」
「お前には内緒。ほら、いつまた【略奪者】が動き出すか分かんねぇんだから。休めるうちに休むぞ」
「え~! ねえ、しのの、二人は何話し……ってみこ!引っ張るな~!」
 傍から見れば朗らかに、寮へと消えていく二人を見送り、統也と紫乃はどちらからともなく近くの壁に寄りかかった。
「大変なことになったな」
「うん。……でも僕、涙とか全然出てこないよ。僕も、薄情なのかな」
「そんな事ない。今はただ……何も呑み込めていないだけだ。俺様もな」
 小さく縮こまる紫乃の肩を、統也はそっと叩く。そこに感じた温もりだけが真実で、彼の台詞だけが紫乃を安心させた。
「俺様達も戻るか」
「うん」
「俺様の部屋は……多分翼が占領しているだろうから、お前のところで休ませてくれ」
「うん、いいよ」
 少しだけ解れた口調で返し、紫乃はゆっくりと立ち上がる。そのまま統也の手を取って歩き出そうとした、その時だった。不意にスラックスのポケットに入れた端末が振動し、曇ったメッセージの通知音が鳴る。どうやら統也も同時期に通知を受け取ったらしく、二人は顔を見合わせて端末を起動した。
「理沙子先生からの、メッセージ?」
「メンバー全員に同時送信されているようだな」
 二人が開いた画面には、全く同じ文面が表示されていた。それは、別棟に避難させられている、東理沙子からのメッセージだった。

『spiritoの皆へ。すぐ迎えに行けなくてごめんなさい。今、西棟の一室に隔離されているの。学園の素性を知らない外部講師と一緒にいるから、下手に動けない。学園の外との通信も遮断されていて、外から助けを呼ぶことも出来ない状況よ。でも、必ず皆の所へ行くから。絶対に力になるから。もう少しだけ待っていて。それから、』

 理沙子の言葉は、こう続いていた。

『これは、一人の姉としてのお願い。皆にとっては、あんまり良い先生じゃなかったかもしれないけど、響希ちゃんを助けてあげて。どうか、お願いします』

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