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第24楽章『潜入』

 ギィと扉の開く音がして、理沙子は思わず小さく跳ね上がった。薄暗い部屋の奥、呼吸を殺すようにして、机の下へと足を滑り込ませる。入って来たのは、二人。コツコツと響くヒールの音と、やや篭もりがちな靴音が、床についた理沙子の手を伝って彼女の体全体に振動する。
(一人は、ヴィクトリアね。でも、もう一人は誰? 男性講師の靴は皆同じだから、聞いただけでは分からないわ)
 せめて月夜であればと願ったが、そうでは無いらしい。ヴィクトリアと共にやってきたのは、理沙子の知らない男だった。暗くて顔はよく見えないが、随分と小柄な男のようだ。
(随分小さいのね。まるで子どもみたい。あれなら、命くんや郁くんの方が高いかも?)
 危うい立場である事も忘れ、理沙子は少しばかり微笑む。この息の詰まる学園で、生徒達の事を考えている時だけが、彼女の至福の時であった。これも、彼らを助ける為に必要なこと。そう思えば、どんなに体が震えても平気だ。理沙子は少しだけ身を乗り出し、ヴィクトリア達の動向を追った。二人は、幾冊かの資料を馴れた手つきで抜き取ると、入口とは反対側、すなわち、理沙子が隠れている方へと歩いてきた。
(まずいわ、物音ひとつ立てられない)
 どくどくと鳴り響く鼓動の音。その音で気付かれてしまうのではないかと思う程に、理沙子の心臓は激しく暴れている。だが、ヴィクトリア達は机の下等には目もくれず、部屋の突き当たり、何も無い真っ白な壁の前へと立ちはだかった。
(何をしているのかしら? そこには何も……)
 無かったはず、と思った途端、白い壁の真ん中に眩い光の亀裂が走った。叫びそうになるのを堪えながら、理沙子はまじまじとそれを見つめる。やがて、亀裂の入った箇所から壁はゆっくりと開いていき、気がつくとそこには、地下へと続く階段が現れていた。
(あれは、隠し扉!)
 絶句する理沙子の前で、ヴィクトリアは開かれた先の壁にかかっていた燭台を、二つ手に取った。ひとつを自分で点し、もうひとつは背後にいた男に手渡す。男が自ら光を点した時、理沙子のところからも男の顔がはっきりと見えた。その顔は──。

 


 二人が去り、壁が再び空間を頒たれた後でも、理沙子はその場を動くことが出来なかった。今見たものが、信じられなかった。蝋燭の炎で照らされたその顔は、理沙子がずっと求めてきたもの。苦しみの中で、亡くしてしまったものだった。他人の空似だろうか? そんな筈はない。あれは確かに、
「響希、ちゃん……?」
 未知なるものへの恐怖を孕んだ声が、誰も居ない部屋に反響した。

──────────

 地下へと続く階段は、尋常でない程に暗く、そして長い。内部講師の中でも、数名しか出入りの許されないこの場所は、ヴィクトリアに言われせみれば『聖域』なのだそうだ。だが、日野川にとっては此処こそが懺悔の場所。棺のように並べられた箱の一つ一つには、今にも潰えてしまいそうな儚い命が詰まっている。唇を噛み締めながら、ヴィクトリアに続いて箱の横を通り過ぎた日野川は、ある箱の前で突然立ち止まった。そこには、まだ誰も囚われていない新品の棺が寝かされている。
「ヴィクトリア様、これは……」
「あぁ、近々新しいお客様をお招きする予定ですのよ」
 ヴィクトリアは振り返り、心底嬉しそうに棺の横を指さした。
「ほら、お名前も既に」
 白くしなやかな指が示した先には、錆びれかけた金色で四桁の数字が掘られていた。その数字が示していたのは。
「この件に関しては、貴方に一任致します。……これを」
 棺に見入ったまま動かない日野川に、ヴィクトリアは何かを手渡した。そして、彼を置いて一人奥へと足を進めていく。ヴィクトリアの姿が見えなくなると、日野川は棺の前に座り込み、鈍い色の数字を撫でた。
「本当なら、僕がこうなるはずだったのにね」
 彼が零した言葉に、返事をする者は居ない。俯いた彼の掌の上で、ヴィクトリアから渡された銃だけが、不気味に光っていた。

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