top of page

第52楽章『交響曲』

『大丈夫、君たちなら出来る』
 光希と翼に向かってやって来た光は、瞬く間に彼らを包み込むと、空いっぱいに優しい声色を響かせた。よく知っているその声に、二人は同時に顔を上げる。
「響希先生……?」
 彼の身体は既に消滅したはずだった。幾重にも連なる光線が、役目を終え天に昇っていく様を見たばかりだった。けれど彼は、もう許されても良いはずの彼は、またこの過酷な世界に戻って来てくれたのだ。他ならぬ光希達の為に。


『向こうにいる皆の思いと、皆の力を預かって来た。君達にその全てを託すよ』
 優しく労るような柔らかな声と共に、幾つもの輝きが二人を取り囲む。それはまるで、失われ、消えて、眠った彼らの力が、二人を守っているかのようだった。朝焼けの空に、懐かしいその顔が次々と浮かんでは消えていく。

『置いていってしまってごめん。だけど僕は、どこに居ても仲間の幸せな未来を願ってる』
 そう微笑むのは、夕暮れの優しい光。
『お前たち自身の夢を叶える為に、どうか生きて、生き延びてくれ』
 懇願したのは、雨上がりの空のように力強い光。
『仲間が笑って過ごせるような世界を、君たちなら作れるよ』
 朗らかに頷く、喪われた花の刹那的な光。
『俺様を呼び起こせるのはお前たちだけだろう? また一緒に隣を歩こう』
『二人のこと、信じてるから。……僕たちを救って欲しい』
 双星の如く寄り添って煌めくのは、救いを待って眠り続ける光。
 そして、地平線の彼方から駆けてくる、炎のように燃えたぎる光。
「光希、翼! 頼む!」

 肩で息をしながらありったけの声で叫んだ命は、紅く揺らめくその瞳に、ひとつの短剣を支え合いながら握りしめる二つの影を見た。荒れ狂う巨大な化け物の前で、幾つもの願いの残響がこだまする。それはまるで、美しい調べを聞いているかのような、幻想的な風景だった。
 二人が振り下ろした剣の切っ先から、闇を晴らす荘厳な輝きが世界中に広がっていく。レールの外れたこのセカイで人知れず戦ってきた【救世主】達は、その日の朝、祝福の陽光と共に柵から解放されたのだった。

─────────────

 命と月夜が駆け寄った先には、三人の人間が折り重なるようにして倒れていた。光の衝撃で消滅した剣の代わりに、互いの手を握りながら静かに息をしている光希と翼。そして──
「先生。……私の声が、聞こえる?」
 人の姿に戻ったヴィクトリアだったが、彼女の身体は既に【力】に侵され消えかけていた。薄らと開いた瞼から、黒曜石のような瞳が細められる。
「……夢を、見ていました。夢の中で、リクくんとソラくんに出会いました」
 ヴィクトリアは、泣きそうな顔の月夜に向かって指を伸ばすと、彼女の頬をそっと撫でる。
「もう良いんだよと、二人とも、笑顔でわたくしと貴女を許してくれました。……わたくしは今度こそ、あの子たちが寂しくないように、ずっと傍にいます」
 本当は貴女の近くにも居たかったけれど。ヴィクトリアは静かにそう告げると、緩やかに首を振って微笑んだ。
「責任は全てわたくしが負います。その為の文書もしたためてあります。だから貴女は生きて。己の足で生きなさい。貴女の作る薬は、きっとこれから先多くの人々を救います。貴女はわたくしの、いえ……『私の、自慢の生徒だわ』」
 もうずっと聞いていなかった、無邪気な恩師の声。月夜は何度も頷くと、泣きながら消えゆく彼女を抱きしめた。本当は彼女だって、この腕で沢山の子どもたちを包んであげたかった筈だ。父の柵にさえ囚われなければ、きっと誰からも慕われる優しい先生になれていた筈だ。
「……先生の分まで、私が皆を支えていくよ」
 涙ながらに呟いた月夜の肩に、そっと不格好な手が添えられた。振り返れば、きつく唇をかみ締めて命がこちらを見下ろしている。
「全て終わったよ。君たちの未来は守られた」
 月夜がそう口にした瞬間、命の瞳から堰を切ったように雫が溢れ出した。仲間への追悼と未来への安堵を織り交ぜたような泣き声は、朝日が完全に昇りきるまで、けっして途切れることは無かった。

─────────────

 気がつけば、翼は何も無い真っ白な空間に立っていた。皆に守られながらヴィクトリアに立ち向かった感覚は、まだ体全体に染み付いている。
「これは夢? それとも、ボクも死んじゃった?」
 呟くように声を漏らすと、それに呼応するように、彼の後ろから甲高い鳴き声が聞こえてきた。
「キ」
「え? ……何これ、変な鳥」
 驚いて振り向いたその先には、オレンジ色の丸い鳥の姿があった。彼(?)の隣には、更に二回り程小さい淡い茶色の鳥が蹲って眠っている。
「キーキキ! キー!」
 鳥は空色のつぶらな瞳を翼に向けながら、必死に何かを伝えようとしている。時折足下の小さな仲間に視線をやりながら、切羽詰まった声で鳴いている。
「何? お腹が空いてるの? それとも、道に迷った?」
「キーッ!!」
 どうやらどれも違うらしい。困惑して首を捻った翼は、そこで蹲っていた方の鳥の姿が徐々に薄らいでいる事に気がついた。
「……え、この子、消えかけてる……?」
「キー!」
 オレンジ色の鳥は、そうだ!と言わんばかりに一際大きな声を上げた。その瞬間、翼は妙な胸騒ぎを覚えた。消えかける小さな鳥。傍にいる友は泣きそうな声で喚き散らしている。そして、この場には光希の姿が無い。
「光希は、どこ?」
 震える声が彼の名をかたどった瞬間、翼の意識は急速に現世へと引き戻された。勢いよく目を覚ました彼が一番最初に見たのは、満足そうな微笑みのまま安らかに横たわる光希の姿だった。

bottom of page